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2000.10.6
 
 


「鯨」の問題…

 最近、「鯨」の問題を取り上げたい政治家があらわれたようだ。といっても、鯨保護の立場ではない。

 このような立場から、「鯨」問題を取り上げてどのような意味があるのだろうか。

 海洋問題に対する日本の政治家の態度は、相変わらず実践論とは無縁で、ドグマ型のようだ。
 日本政府が、領海3海里に固執し、経済水域200海里にも最後まで反対し孤立したことを、海外紙は常にとりあげる。漁民の筵旗を煽るような政治家の体質を、欧米のジャーナリストは嫌いなのだ。
 ところが、海外が嫌おうとも、日本の伝統を引き継ぎたい政治家は、意気軒昂という訳だ。

 漁業の問題を語るのに、「鯨」を話題に出すこと自体、何らかの特別な政治的意図があるとしか思えない。問題は、「鯨」ではなく、明らかに漁業資源である。自国の資源でなく、外の資源へのアクセス権を守ることが、「生命線」という発想だろう。経済水域問題同様、孤立の道を選びたいのであろう。
 日本の漁業従事者は30万人以下となり、高齢化が進んでいる。生産性をあげる画期的な技術は当面見当たらないのだから、一人あたりの収穫高は変わらない。ということは、今のままなら自給はできないのだ。水産物の輸入は不可避である。輸入が続けられるのかという大問題が起きているといえる。

 今後、世界の食料需給事情は間違い無く悪化の一途をたどる。そうなると、水産物の輸入がこれからも続けられるとは思えない。無理なことを続ければ、結局は紛争がおきる。しかし、敢えて、それを望む政治家もいるようだ。

 日本にとって一番重要なことは、経済水域200海里内だけでも、国民の需要に応えられる水産資源を保持することではなかろうか。これだけでも経済水域としては極めて広い。しかも、本来的には豊かな海だ。ここからだけでも、十分食える筈という主張がある位だ。
 老齢化する地場の漁民にまかせておけば、先細りだ。日本の水産技術は優れているが、それを活かす仕組みが無いのだ。

 こうした議論が重要と思う。しかし、地味で目立たない。場合によっては、国内の特定団体の反感をかう恐れさえある。当然、皆、避ける。


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