↑ トップ頁へ

2001.8.16
 
 


未来TVの戦い…

 ピューリッツア賞を受賞したジャーナリストが、「未来TV」を巡る戦いを丹念に取材し、1冊の本にまとめた。(Joel Brinkley:"Defining Vision: The Battle for the Future of Television", Harcourt Brace & Company, 1998---翻訳版2001年4月アスキー刊)本文が437頁の大部である。
 日本が、国策として、一丸となってアナログハイビジョンの普及と標準化に邁進した様子がよくわかる。膨大な研究開発費を投入して技術で先行し、交渉に優秀な人材を張りつけ、まさに最優先プロジェクト体制だった。全力投球したのである。
 交渉経緯を眺めると、表面上は、政治のドタバタ感が強いが、米国の強さが印象的だ。「タフ」である。一旦決めたことでも、平然と放棄する、強い意志を感じる。優れたものが登場したら、旧いものは捨てるべし、という発想が底流にある。明らかに、米国の指導層はイノベーション志向だ。
 一方、日本は、全員揃って決めた通りに「粛々」と進める体質が歴然としている。その上、日本は政府と民間企業が一体化して動く。(技術を牽引する立場のNHKが、官か民か不明瞭な組織であることも、一因であろう。)米国の動きと比較すると、極めて異質である。そもそも、政府と民間は目的が異なるし、産業や企業毎にメリットは全く違う。「一丸となって」動ける筈がない。
 米国放送業界は他業界との競争意識からHDTVを取り入れようとしたように見える。電波枠確保が課題だった。放送業界は多チャンネル化で収益を上げたいのにもかかわらず、技術ナショナリズムの流れに乗った政治は、現行チャンネルのままで先端放送化しよう意向で、噛み合わない。高額の投資にもかかわらず、多チャンネルでなければ収入は見込み薄だから、放送業界は本格的な事業推進体制を敷こうとしない。民間企業なら、当然のことだ。
 勝手に皆が動けば、ゴタゴタは続くが、少なくとも新しいことはし易い。米国型が優れているとは一概に言えないが、今の時代は、挑戦の機会を生みだせる仕組みの方が優位といえよう。全員揃って「粛々」と動く体質が、アナログハイビジョンの失敗に繋がったとしたら、そのような体質からの脱皮は緊要な課題と言えるのではなかろうか。


 政治への発言の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2004 RandDManagement.com