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2002.8.3
 
 


動けぬ体質…

 1999年、突然の結核緊急事態宣言で驚いた人が多い。(http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1107/h0726-2_11.html) 結核は過去の病気で、まさか、流行っているとは考えもしなかったからだ。このため、早めの警鐘と、好意的に受け取られたようだ。
 その後の動きが、2002年に、ようやく見えてきた。年度末にまとまった実態調査結果を踏まえて、2004年に結核対策の再出発を図る計画だ。「世界の結核対策は年々ますます熱くなっており、その中で日本に期待されるところも大きくなっている。」との意気込みも語られており、新たな一歩が踏み出されるのだろう。(http://www.jata.or.jp/news_tp.html)

 このような発表を見ていると、すべてが「粛々」と進んでいるように見える。本当だろうか。

 日本の結核罹病率は、年間減少率10.6%という、世界で最も早いスピードで減ったという。素晴らしい成果である。
 ところが、この状態は1975年までの話しである。それ以後は急速に鈍化し、年間減少率は3.2%に落ちた。先進国では、低迷国になった。こうなってから、25年近く経過して、「緊急事態宣言」に至ったのである。早めの警鐘と見るのは無理があろう。
 91年に東京大学大学院を修了した認定内科専門医でさえ、この状況を全く知らなかったという。まことに不可思議な医療教育システムである。(http://www.bdj.co.jp/new/micro/series/3tqe0k0000000xjr.html) 事態に驚いて、この専門医は、G7諸国の統計を比較してみる。すると、日本はもともと格段に罹患率が高く、しかも底を打って増加するトレンドになっていることを知る。その上、80年の時点では、これらの国々は日本より罹患率が高かったにもかかわらず、97年には日本を追い抜いた事実を発見する。
 要するに、問題は放置されていたのである。多数の専門家がいるにもかかわらず、この点に関しては、黙して語らずだ。

 といっても、結核予防のリーダーは「結核対策の見直しは大変な難事業」と明言している。苦闘し続けて来たのだろう。(http://www.jata.or.jp/rit/rj/0109aoki.html)
 但し、苦闘といっても、どのような対策が良いかわからず、こまっている訳ではない。

 罹患率減少鈍化の理由ははっきりしている。しかも、どのような対策を展開すべきかも知られている。
 にもかかわらず、現在の疫学的状況に合わない対策をやめさせられない。世界の趨勢から離れてしまった、50年も前の考え方を是正するだけのことが、「難事業」なのだ。

 それでは、説得するにはどうするか。「このままでいけば2015年には韓国にも追い抜かれてしまう。」とふれ回るしかないようだ。


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