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2003.4.20
 
 


朝鮮戦争勃発の危機(続々)…

 2003年4月18日、朝鮮中央通信から、寧辺の原子炉から取り出して保管中の約8000本の使用済み核燃料棒の再処理作業が、成功裏に最終段階まで進展している、とのニュースが発信され、世界のマスコミを駆け巡った。

 ところが、すぐに、「最終段階」がどの部分を修飾するかの議論が持ちあがった。
 英語の翻訳文では明瞭に「再処理作業への最終段階」と読めるから、燃料棒からプルトニウム抽出を進めていることになる。一方、原文は曖昧な表現だから、そのように読めるとは限らない、との主張が登場した。まさに混乱の極みである。(http://www.nytimes.com/2003/04/18/international/asia/18CND-KOREA.html)

 同日、韓国政府当局者は「現段階では再処理に着手していない」との見方を示したという。(読売新聞/聯合ニュース発 http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20030418it15.htm)
 つまり、北朝鮮が「言葉の遊び」外交をしているだけだから騒ぐな、と主張したいようだ。

 このような韓国政府の対応は、これで2度目である。

 前回は、米国偵察衛星が、寧辺の使用済み核燃料棒貯蔵施設で、「移動用と思われる」トラックを発見した時だ。韓国政府当局者が、即座に、「核燃料棒を移動した痕跡は全く発見できなかった」と、発言した。

 推測だけで、北朝鮮は核保有に動いていない、との主張がまかり通っている。だからといって、逆の意見も、憶測に過ぎない。

 ウラニウム濃縮についての見解もわかれる。膨大な電力と多数の遠心分離機が必要であるから、北朝鮮が作れる訳がない、との解説がなされている。原子力施設そのものも老朽化しており、脅威など無いと語る専門家さえいる。しかし、濃縮計画が進んでいない、と断言できる証拠もない。
 ラムズフェルド長官がすでに「核保有」もあり得ると語れば、すぐに、韓国政府高官が懐疑的な見解を示す。8000本以外にプルトニウムが存在したのか、信頼できる情報は皆無にもかかわらず、どちらも推測で発言を繰り返す。

 これを見てわかるように、米国と韓国の方針は180度違う。米国は北朝鮮金政権の崩壊を狙うが、韓国はなんとしても政権崩壊を防ぎたいのである。この方針に合わせて、両者が都合のよい情報を勝手に解釈しているだけだ。
 この状況で、どちらの解釈が正しいか議論したところで時間の無駄である。
 注目すべきは、一つだけだ。米国政府が考えている、北朝鮮の危険性の度合いである。これが事実かどうかではなく、米国政府の見解が重要なのである。

 例えば、米国が、ウラニウム濃縮型核兵器が生産される可能性が高いと見なしたなら、北朝鮮が核兵器の大量生産国化すると判定したと同義だ。換言すれば、金政権の存在は容認できない、ということだ。
 もしも、米国がこのような結論に到達しているなら、核問題の平和的解決策を議論したところで何の意味もない。政権崩壊に伴う、甚大な被害を低減する算段を優先すべきだろう。

 そう考えるなら、北朝鮮の動きに関する報道にも、十分注意を払うべきだ。北朝鮮の動きを、「瀬戸際外交」と解釈するのが大流行だが、この見方をしていると流れを見誤りかねない。
 軍事独裁政権にとっては、敵国たる米国に対峙することがレゾンデートルである。
 従って、その本質は「瀬戸際外交」ではなく、巨大な軍事体制を維持するための「瀬戸際軍事」である。軍事独裁組織は「脅迫」力無くしては維持できない。力がなくなれば即座に瓦解する。「瀬戸際軍事」を止める訳にはいかないのである。
 例えば、「安保理の経済制裁決議を宣戦布告とみなす」のも、停戦協定に明記されているから、当然の姿勢である。北朝鮮軍にとって、米国(国連軍)とは一時停戦しているだけで、今もって戦争は継続しているのだ。軍事組織が、戦わずして降伏する訳はなかろう。

 従って、多国間交渉などあり得ない。
 今回の米・中との3者会合も、北朝鮮にとっては、朝鮮戦争での同盟軍、人民解放軍の本拠地で、米国(国連軍)と「膝詰」で軍事交渉する、との位置付けになる。人民解放軍を証人として、米国政府から、不可侵の確約を獲得する交渉を始めることになる。

 しかし、米国議会が不可侵条約に賛同する状況にはないから、このような交渉がスムースに進展する筈がない。
 にもかかわらず、米国政府は「外交」交渉を進める。
 一見、北朝鮮の冒険主義的動きに対する妥協策に見えるが、韓国政府の方針に沿って、とりあえず核凍結まで進めれば十分と考えたのではないだろうか。
 どのみち北朝鮮経済が悪化するから、早晩、旧ソ連のように政権が崩壊する、との目論みだと思われる。・・・経済難だけでは、軍事独裁政権が崩壊するとは限らない。崩壊するにしても、自壊でなく、自爆に走ることも考えられる。危険な賭けが始まったのではないだろうか。

 「外交」交渉は危機回避への一歩というより、危機の深刻化と考えるべきである。


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