↑ トップ頁へ

2004.1.8
 
 


煽動家の時代…

 「道理のない戦争への積極的支持に対して怒りにふるえる91歳」と記載された年賀状を頂いた。

 リアリズムに徹する立場からは、「気持ちはわからないでもないが、・・・」という反応になりがちだが、昨今の状況を見ていると、爽やかさを感じる。何時の時代でも、清新な批判派が存在することで、民主主義が保たれてきたからだ。

 と言っても、歴史を見る限り、いくら正当な主張であっても、ラディカル(過激という意味では無い)な批判派の主張が認められたことはない。外部からの変革は難しいのである。
 例えば、ベトナム反戦闘争は広範に広がった。しかし、戦争を終結させる力を持つには至らなかった。戦争終結は、体制内部からの動きで実現したのである。
 スターリン主義国家も、外部のラディカルな批判勢力には、動じなかった。しかし、結局のところは、自壊し、内部から新勢力が生まれた。

 ラディカルな批判運動は直接の成果には結びつかないのである。

 しかし、運動が無駄な訳ではない。

 体制内部から、抜本的な方針変更を仕掛ける勢力が登場するためには、外部のラジカルな批判勢力の動きは不可欠なのである。「道理」に基づいた強烈な批判が浴びせ掛けられ、リアリストが問題意識を持つようになり、体制内部から変革が芽吹き始めるのである。
 体制内変革者にもなり得るリアリストと、ラディカルな批判者は思想基盤が違うため、両者の間には深い溝があるが、知的交流はできる。そのため、実践的な変革案が生まれるとも言える。

 ところが、最近はラディカルな批判運動がさっぱり目立たない。見かけるのは、政争や無思想な集まりばかりだ。
 繁華街で若者のデモ隊に遭遇したことがあるが、訴える道理もなければ、理屈も無かった。あるのは、情緒的な呼びかけである。
 「よくわからないのですが、戦争は良くないと思うのです。何か行動を起こすべきと考えました。皆さんも参加して下さい。」と声をかけるだけなのだ。
 平和実現のために、自分として何ができるか、さっぱりわからないのだろう。

 この状態では、外部からの批判に対応して、体制内部から変革の動きが発生することはなかろう。
 もし、誤った方向に進んでいても、方向転換の力は生まれない。

 と言うことは、今、日本は危険な状態にあるのかも知れない。

 ・・・軍国主義化の危険性を指摘する人もいる。

 と言うと、大東亜共栄圏構想に巻き込まれた被害国の視点での抗議や、1950年体制維持派政党の主張と思うかもしれないが、こうした古めかしい考え方とは無縁である。
 第2次世界大戦の戦勝国側の経験に基づいた推察から、日本の危うさが示唆されているのだ。
  [2003年12月19日付International Herald Tribune「Raising the bar on the military」(Eric Heginbotham)]
  (http://www.iht.com/articles/122031.html)

 日本国民が、軍国主義を支持せず、平和を望んでいるからといって、軍国主義化が防げるとは言えない、との主張である。

 確かに、その昔、軍国主義化を日本国民が支持していたとは思えない。おそらく、大多数は反対だった。
 ところが、経済がドン詰まり感を呈しても、政治はまともに機能しなかった。そして、既得権益拡大のために、官僚と軍部が癒着してしまい、シビリアン・コントロールが効かなくなったのである。景気拡大を望む企業も多かった上、政商が主導していたため、産業界も動けなかった。その結果、軍国主義化が一気に進んだ。
 日本は、再び、そのような状況に負い込まれる可能性がある、という危惧感が示されている。

 これを杞憂と笑うことなどできまい。

 2003年の衆院選挙の投票率の低さから判断すれば、すでに政治に対する信頼感は大幅に低下していると言えよう。
 政権交替もあり得る2大政党型「政策」選挙になったと言うのに、盛りあがりを欠いた。どう見ても、政治に対する期待感は消え去りつつある。
 それも当然かもしれない。改革を急がねばならないのに、両政党ともに、構造改革とは程遠い体質だからだ。片方は地元の農業/土建セクターの集票システムが基盤だし、もう片方も公的機関/類似体質企業の労働組合への依存が続いているのだ。このような現状維持志向団体の支援で選ばれた議員に将来を託すしかないとすれば、希望が湧く筈がなかろう。

 この状態で、政治が機能するとは思えない。

 例えば、「突然軍事的緊張が発生した時、日本の政治は機能するか?」との質問に、Yes.と答えられるだろうか。
 イラク問題ではっきりしたように、安全保障や自衛隊の役割に関しての基本姿勢は曖昧なままだ。今のままなら、問題が発生したら、四分五裂になりかねまい。
 誰が、どのように対処するのかはっきりしなければ、大混乱必至である。
 (軍隊とは統治機構を持つ自律組織だ。この組織をコントロールできなくなれば、どうなるかわからない。
 憲法の縛りで、バランスは欠くが、戦争能力を日々磨いている組織であることを忘れるべきでない。
 装備も攻撃型が含まれるようになってきた。「ヘリコプター搭載護衛艦」と呼んではいるが、欧州の軍隊では「ヘリ空母」のことだ。
 実際、空母無くしては燃料不足で帰還不能であるにもかかわらず、防衛庁が北朝鮮攻撃方法を検討したと言われている。)


 政治が統治能力を失った時、ナショナリズムを吹き込む煽動家が登場する可能性は極めて高い。

 ナショナリズムの力は、今もって、巨大である。その怖さを忘れるべきでない。隣の中国における、買春観光や西安の寸劇の結果を見れば、その力は歴然だ。

 やっかいなのは、国内矛盾が高まれば、ナショナリズムで隠蔽するというのが、政治の常套手段という点だ。
 もし、中国政府が少しでも反日を煽れば、日本でも、それに呼応して煽動家が動く。もちろん、逆もあり得る。いったん火がつけば、自らの地位を守ることしか頭にない政治屋が多いから、争ってナショナリズム派に転向するのは目に見えるようだ。
 どちらにしても、動いてしまえば、手がつけられぬ対立を呼ぶ。

 煽動家にとっては、願ってもない火種が転がっているのだ。

 2003年12月のSerbia共和国の議会選挙の結果を見れば、「民主主義」はナショナリズムの旗には太刀打ちできないことがはっきりしている。戦犯として裁かれているMilosevicを支持する極右民族派のSerbian Radical party が第1党なのである。
  (http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,1113587,00.html)

 日本だけが、ナショナリズムより平和を重視することなどあるまい。
 政局混乱時に、極端なナショナリズムが突然力を持つことは十分あり得る。

 変革が進まず閉塞感が高まれば、リアリズムでは対抗不能な、強力な伏兵が突然登場するのだ。


 政治への発言の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2004 RandDManagement.com