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2004.2.2
 
 


米国大統領選挙に見る変化…

 アイオワ州、ニューハンプシャー州での党員集会/予備選挙の予測がさっぱり当らなかった。

 多少の見込み違いならわかるが、当たるも八卦状態というのは、驚きだ。
 まともな世論調査を行っているにもかかわらず、どうしてここまで外れるのか、余りに不思議である。

 様々な理由が語られているが、自らの思想に合う候補を選ぶのではなく、人気ある現職大統領に勝てる候補を選ぼう、との流れがおきている、との見方が当っているのではないかと思う。
 (どうも腹におちない理屈だが、他に、説得性が高い理由は見当たらない。)

 といっても、躍進した、John Kerry上院議員(マサチューセッツ州)は典型的な民主党型候補である。金持ち優遇の共和党への対抗軸を提起すると共に、ジョブレス化につながりかねない経済政策を批判する、伝統的政治姿勢が特徴と言えよう。
 南部から見れば、相当肌合いが違う政治家である。このため、南部での人気は期待できまい。
 従って、勝てる候補とは言い難いと思うのだが、西部で大量集票できる可能性が高いから、ベスト候補だ、と見なされたとの理屈らしい。

 日本のジャーナリストは、この辺りをどう考えているのか知りたくて、ざっと眺めてみたが、米国国内のことなので、問題意識の埒外のようだ。
   河北新報(1月20日) http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2004/01/20040121s01.htm
   信濃毎日新聞(1月21日) http://www.shinmai.co.jp/news/2004/01/21/006.htm
   読売新聞(1月21日) http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040120ig91.htm
   中日新聞(1月21日) http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20040121/colsha000.shtml
   朝日新聞(1月22日) http://www.asahi.com/paper/column20040122.html
   中国新聞(1月24日) http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh04012402.html)

 残念なことだ。

 こうした問題を議論することこそ、重要だと思う。

 長期間かける米国の大統領選挙は、政治思想を磨き込む重要なプロセスでもある。ここで、今までと違う現象が現れたのだ。社会変化の兆候を意味していると見るべきだろう。
 変化は、すぐにはわからないが、新しい動きを議論することが、将来を読む上で重要なことだと思う。

 例えば、「選挙で勝てる候補」を選ぼう、との動きが実際に発生しているとしたら、米国社会が変質している可能性さえある。

 こう考えるのは、NewYork Times に掲載される論説に、相当な危機感が含まれているからである。
 NewYork Times はリベラル派の意見が多いから、ブッシュ政策への辛辣な批判は当然だが、最近は深刻な論調が多い。選挙の季節という点もあるが、ブッシュ政権の唯我独尊的な体質の危険性を指摘しているように思える。
 要するに、現政権は、他の意見にほとんど耳を貸さない体質と見なしているのだ。このままでは、様々な人種や雑多な文化の共存体制が崩れると感じているのではなかろうか。
 米国社会は、分裂に向かって歩んでいるのかもしれない。

 おそらく、インテリ層に、こうした危機感が広がっている。
 アイオワ州とニューハンプシャー州での結果は、この危機感が、無党派層まで広がりつつあることを意味している可能性もある。

 2004年2月3日には、ブッシュおじさんの人気が高い7州で「ミニ・スーパーチューズデー」が行われる。この結果で、米国社会の今後が占えるかもしれない。


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