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2004.2.7
 
 


フセイン打倒の危うさ…

 フセイン政権が消滅したから、イラクは政治的に前よりましになる、と語る人がいるが、おそらく逆だろう。

 そもそも、回教国には欧米型の民主主義政治は適さないと思う。

 これは回教に対する偏見ではない。この宗教の本質が、欧米型民主政治と矛盾するからである。回教の基本は、政治を通じて、素晴らしい宗教世界を実現するという考え方だ。これでは、宗教を政治から離すことなどできない。
 フセイン政権はとんでもない政権に映るが、宗教と政治を切り離した、という点だけ見れば、回教色を消す政治を追求したと言える。

 国民経済振興の観点では、フセイン政権はプラスに働いたと言えなくもない。

 一般に、回教が国教なら、建前上、政治と宗教が一体化しているような振舞いが必要になる。このため、宗派代表が政権に直接関与してくると、宗教的決断が経済問題より優先される。
 先進国から見れば、進歩を否定する動きに映る。このような状態で、国民経済が上手く回る筈はない。
 これを避けるためには、独裁政治を行い、宗教者の力を削ぐしかあるまい。

 といっても、アラブの国々は原油を持っていたから、政治体制に関係無く、この収入だけで国力向上が可能だった。
 とはいえ、原油代金で大量の公務員を雇うだけの経済でしかない。
 民間企業もあるが、原油産業セクターと公務員達を対象としているサービス業者にすぎないし、新興産業は、金で作ったお飾り程度のものと言ってもよいだろう。

 典型例は、サウジアラビアとイランである。
 片方は王家が権力を握っている宗教色が強い独裁国だし、もう一方は厳格な宗教政治が敷かれている。
 どう見ても、回教国では、独裁国か宗教国どちらかの道しかない。

 だが、こんなことは、10年以上も前からわかっていた。
 国際ニュースを読んでいた人なら、1992年のアルジェリアの政変で、アラブ国家の本質を理解した筈である。
--- 「略史」から ---
1989. 2 憲法改正
1992. 1 シャドリ大統領辞任。
国家最高委員会設立。
1994. 1 移行期間の大統領として
ゼルーアル大統領就任。
1995.12 複数政党制下初の大統領選挙、
ゼルーアル大統領が選出。
--- 「内政・治安」から ---
(1) 92年より
イスラム原理主義過激派による
テロが活発化し、
国内情勢は悪化。
(2) 95年、初の複数候補による大統領選挙で
選出されたゼルーアル大統領は、
テロ対策の強化を含めた
内政・治安情勢の正常化に尽力。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/algeria/data.html
 (もっとも、外務省のサイトの情報は右表に示す通りで、よくわからない。)

 もう一度、当時を振り返ってみよう。

 8年も続いた独立闘争「アルジェの戦い」は有名だが、独立は1962年のことで、古い話しだ。その後、民族社会主義政権が続いた。そして、欧州からの圧力もあり、1990年代に入り、軍事独裁から民政への移管が図られたのである。
 西欧流の民衆主義への衣替えを始めた訳だ。

 ところが、1991年の地方選挙結果は、民主主義を否定するFIS(イスラム救国戦線)の勝利に終わった。このため、1992年に予定していた総選挙が中止され、軍事独裁国に逆戻りしたのである。当然のことながら、イスラム過激派との熾烈な内戦が始まった。
 アフガニスタン帰還兵が加わり、壮絶な殺し合いが続く。

 アルジェリアに限らず、アラブ諸国には、イスラム過激派伸張の土壌ができあがっている。
 どこでも人口は膨張一途だ。原油収入が潤沢で、人口が少ないうちは、どうにかなるが、何時までも続くものではない。収入が不足すれば、若年層の失業者が溢れ返る。大学中退者が日中ぶらぶらしている状態が日常化する。これで、特権階級に対する攻撃活動が発生しない訳があるまい。
 石油大国サウジアラビアも、この道を歩み始めている。すでに、原油収入では、経済が回らなくなっており、失業者は増加している。9.11のテロリストがサウジアラビア出身者で占められている事実がすべてを物語る。

 といって、石油価格の暴騰以外に、失業問題解決策など無い。
 そうなると、イスラム原理主義に基づく過激派の活動の発生を抑えるためには、徹底弾圧しかあるまい。これが現実である。

 このような現実に直面した時、民主主義は無力である。
 軍事独裁政権か、イスラム宗教勢力のどちらを支持する以外の、選択肢が残されていないからである。どちらにしても、民主政治とは無縁の国家ができあがる。
 こうなると、ほとんどの人は、安定的な原油供給を保証してくれ、国を安定してくれる勢力なら、どちらでも結構、という態度をとるしかなかろう。

 アルジェリアの悲惨な内戦は、幸運なことに、隣国の、リビア、チュニジア、モロッコには伝染しなかった。これらの国でも同じことが発生してもおかしくなかった筈だ。
 それぞれ国情は違うが、軍事力で、イスラム過激派を押さえ込む体制を続けていたから、最悪の状況を避けることができたのである。

 そして、アルジェリアもどうやら、過激派を押さえ込むことができるようになった。イスラム過激派組織との和解政策を採用できるまでになったのである。
 このアルジェリアが、国連安保理非常任理事国に就任した。
 (理事国: 米、英、仏、露、中、アルジェリア、ベニン、ブラジル、フィリピン、ルーマニア)

 その前の、2003年12月、米国Powell国務長官が訪問し、アラブ型民主主義国家への支持を表明した模様だ。
  (http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn?pagename=article&node=&contentId=A29621-2003Dec2¬Found=true)

 これは、ブッシュ政権が、「民主主義」イデオロギーによる外交から、リアリズムに転じたことを意味するのかもしれない。ようやく、アラブ問題の、曙光が見えてきたようだ。

 イラク問題でも、同じことが言えよう。日本の論議は建前ばかりである。
 リアリズムで対処すべきだ。


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