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2005.3.23
 
 


レバノン騒動は他人事か…

 2005年2月、レバノンでRafiq Hariri前首相が暗殺された。
 経済復興路線の政治家だが、サウジアラビア国籍を持っており、サウジ王国との関係で巨大な富を築いた不動産業者でもある。
  → 「富豪番付に想う 」 (2004年12月7日)

 欧州メディアが、世界を動かす富豪として、わざわざアラブから選んだので、不吉な予感がしていた。欧州お家芸の、宗主国の立場を強化する外交は、内部対立を煽ることが多いからである。

 レバノン情勢も、そんな観点で冷徹に見た方がよさそうだ。

 葬儀をきっかけとして、先ずは、反シリアの抗議行動が勃発した。
 レバノンでは、イスラム教スンニ派とキリスト教が強い基盤を持つ。
 暗殺をきっかけに、このなかの反シリア勢力が、親シリア政権打倒に立ち上がったようだ。

 ところが、この流れに対抗して、3月8日には親シリアの巨大デモが行われた。南部で力を持つ、シーア派民兵組織ヒズボラ(イランが支援する原理主義派と見なされている.)が反米勢力を総結集したようだ。
 桁違いの数の圧力のお陰で、親シリア政権は現状維持を図った。

 このため、3月14日には、真相解明を要求する巨大デモが開催された。反シリア勢力が対抗して動いた訳である。

 ・・・といった流れがニュースから読み取れる。

 しかし、過去をひもとけば、アラブは絡み合った糸のような状況であり、反シリア v.s. 親シリアという単純なものではなかろう。

 レバノンは、キリスト教住民とイスラム教住民が平和共存して作られた国家とされるが、それは理屈だけで、せいぜいが都会のベイルートで通用する話だろう。ベイルートを離れれば、宗派を基盤におく部族毎の地域がバラバラと存在しているにすぎない。それがアラブの現実だ。

 従って、国としての統一方針を作るのは難しい。武力で各派を抑え込んで方針に従わせるか、各派で利害調整した政策を打ち出すしかできかねる。
 つまり、今日の敵は、昨日の友状態が延々と続くのである。実利がある時だけ、互いに平和共存しているにすぎない。

 要するに、ご都合主義的な協定による、当座の安定化以上の高望みは無理なのである。

 今でこそ、米国はシリアのレバノン進駐に反対しているが、もともとは黙認したのである。シリアが対イラク湾岸戦争に参加した見返りと言われている。
 だが、シリアの軍事力でレバノン内戦を抑えただけ、とも言える。
 この結果、レバノンは実質的にシリアの傘下に入った。そして、シリアは、レバノン内の残存PLO系武装組織壊滅に注力したようだ。米国はその点では満足した筈だ。

 ところが、2001年、9.11テロが発生し、すべてがご破算になった。
 ヒズボラをテロ組織と見なすと、シリア政権はテロ組織を支援していることになるからだ。そうなると、米国はシリアを敵国と認定せざるを得ない。
  (尚、イランはヒズボラと一体化しているから、敵国である。)

 この結果、先ずは、国連安保理のシリア撤退勧告(2004年9月)に繋がった。

 しかし、リアリズムで眺めれば、シリアはヒズボラをイスラエル抵抗組織として認知することで、ヒズボラの国内での動きを抑制していたとも言える。ここで、シリア軍が撤退すれば、相対的にヒズボラの独自色が強まるだけの話だ。この反米組織に火を放てば、内乱必至である。

 要するに、世界の大国は、レバノンでの内乱勃発など気にしていない訳だ。
 こんな火種だらけの政治状況を、遠くの他人事と見ている人が多いようだ。

 時代は急速に変化している。ボーと見ていると、いつ騒乱に巻き込まれるかわからない。
 時代感覚を研ぎ澄ます必要があるのではないか。

 リアリズムに徹し、じっくり考えないと、罠にはまりかねまい。


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