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2005.9.27
 
 


衆院選の結果を眺めて…

 衆議院選挙結果で民主党惨敗に関しての解説が一巡したようだから、一寸、振り返ってみよう。

 予想を越えた自民党の勝利と言う話が多いが、「予想通り」と言うべきではないのか。

 おことわりしておくが、東京地区の小選挙区での話である。
 予想外と言えば、民主党は1名が当選し、全滅しなかったこと。東京にも、地元密着運動型の、いわゆる“地盤”が通用する地区があったので驚いた。

 もともと、小選挙区制とは、政権党がさっぱり仕事をしないとか、腐敗が目立つ時は別だが、経済停滞感が薄まれば、与党が勝つ仕組みである。
 地方重視政策を見直して、東京での公共事業を増やしたから、地域経済は好調である。政権交代の嬉しさなど感じる状況にはない。
 従って、野党は、東京で議席を失いたくないなら、明確な対抗軸に裏打ちされた斬新な政策を打ち出しすしかない。

 わかっているにもかかわらず、その役割を放棄したのだから、自ら敗北の道を選んだにすぎない。

 なにせ、「官から民へ」の動きを阻む、規制緩和・行政改革反対の党であると指弾されても、まともに反論できなかった。お粗末この上ない。
 “改革”を旗印にして戦ってきた党が、これでは、都会で議席を獲得できる訳があるまい。

 間違ってはいけないが、小泉政権が行ってきた“改革”が成功している訳ではない。
 動きは遅いし、名ばかりで、妥協だらけ。しかも、財政も、ついに破綻状態に陥った。にもかかわらず、特殊法人へ相変わらずお金を流し続けている。酷いものだ。

 今まで、野党に期待が集まったのは、この状態を突破する可能性があったからだ。
 しかし、政権党が、党内の既得権益に汲々とする勢力を切り捨てる姿勢を示した。そうなれば、期待の対象が政権党に移るのは当然といえよう。

 要するに、今回の総選挙とは、危機感が感じられない政党が見捨てられただけのことである。

 ・・・まとめれば、ポイントは一つである。

 ビジネスマンのリアリズムからいえば、「官から民へ」に呼応せざるを得ない。ところが、それを平然と無視したのだから没落して当たり前である。

 「官から民へ」は単純すぎるとの批判は的外れである。内容自体単純なのだ。

 はっきり言えば、“腐敗が進んでいる組織に仕事をまかせるな”、“ビジネス化できそうな分野があれば官を除外して産業を興せ”、というだけのことである。手の打ちようがないほど酷い状態だから、単純な方針しか掲げ得ないのである。乱暴な主張だが、副作用など云々している状況ではなかろう。

 経済のグローバル化は益々進む。そんななかで、先進国が競争優位に立てるのは、“知恵”だけである。たとえ、副作用があろうと、官主導から、民主導に早く変えて、“知恵”で食べる体制に変えないと、衰退の道を進むことになってしまう。腐敗している組織の無駄遣いをいくら抑えたところで、もたもたしていれば、国全体が塗炭の苦しみを味わうことになりかねない。

 悠長にしていられるほど、時間は残っていないのではないか。

 早い話、誰でもが知っている2つのパターンを至るところで作るということである。

 先ずは、とび抜けた知恵を発揮する人に、沢山の人が食べさせてもらうパターンがあげられよう。異色な人だろうが、雇用創出、多額納税、あるいは新産業創出に寄与してくれるなら、万々歳ではないか。

 もちろん、個人に依存しないパターンもある。類稀な、文殊の知恵が発揮できる大型組織をつくればよいのである。これなら大勢が食べれる。要するに勝ち組企業を支援して欲しいのである。知恵を生まずに負けた組織は速やかに解体すべきだ。
 負け組みの組織にいる人は苦しいだろうが、知恵さえあれば、復活のチャンスは開けている。
 こんな社会を実現するには、生活コストを徹底的に下げる必要があろう。高コストな官のサービスは即刻民営化が望ましい。

 この方向を否定して、労働人口減少の流れのなかで、どうやって財政破綻した国家を建て直せるのか教えて欲しいものである。

 歴史で習ったことを思い出すべきである。

 だらだらと経済低迷が進み、雇用が悪化すると、とんでもない政治勢力が現れる。
 そんな輩に、地獄に引きづり込まれたのではたまったものではなかろう。


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