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2006.2.23
 
 


イラン問題の見方…

 ビジネスマンになって最初に学ぶのは、林檎と蜜柑の優劣比較のような議論を避けるスキルではないだろうか。互いに本気で議論していると気付かないが、終わってから、冷静になって振り返ってみると、議論になっていないことがわかる。余りの不毛さに後悔することになる。
  こんなことを続けていたのでは、たまらないから、問題を整理する方法を習得せざるを得なくなる。

 ところで、“Apple & Orange”とは英語圏の言い方である。林檎と蜜柑を学ぶ年代で、こんな話は卒業するのだろう。
 ところが、日本では、ビジネスマンになってからと遅い。
 ただ、学ぶと徹底的に活用する。
 わざと林檎と蜜柑的な話に誘導したりする。表立って言えない理由があることを、それとなく伝えるのである。言うまでもないが、こんなことができるのは、コミュニケーションが上手く図れる仲間内での話しである。
 一種の外交技術といえよう。

 こんな発想で、政治問題を眺めると、頭の訓練になるのではなかろうか。

 イランの原子力問題で考えてみよう。

 先ずは、米国の考え方から。
 国民への説明責任が重視される国だから、わかり易い。
 単純化すれば、核兵器拡散防止と、世界に石油を供給している中東地区の政治的安定を追求、となろう。
 スローガンとしては、至極結構な話だ。

 しかし、米国が注力してくれて、他の国は何もしなくて済む訳にいくまい。

 ここが肝心な点だが、核兵器拡散防止に本気で取り組んでいるのは、現実には、米国だけである。
 他の核保有国はそれほど積極的に動いている訳ではない。安全保障理事会常任理事国として、それなりの任務を果たしているだけの姿勢に映る。事実上、米国におまかせ状態のようだ。
 なにせ、非核保有国までもが、そ知らぬ顔である。非核保有国とは、核攻撃に晒される立場なのだから、本来なら、新たな核保有国が出ないよう、強い姿勢を見せそうなものだが、そうはならない。
 特徴的なのは、アラブ諸国の姿勢だ。イランの核兵器研究疑惑に対する態度も曖昧である。イランの宗教政権を嫌う国々でさえ、この状態なのだ。

 このことは、1997年から、状況が変わったということだろう。インドとパキスタンの核保有を認めてしまったため、核兵器拡散防止の意味が変質したのである。

 つまり、イランにおける「核兵器拡散防止」とは、核兵器問題ではなく、米国が指定する「悪の枢軸」問題なのである。

 言うまでもないが、「悪の枢軸」とは、国際テロリストを支援し、世界の安定を脅かしている国々を指す。
 核兵器を保有したところで、米国本土に核攻撃を加える力は無くとも、テロリスト国家なら、重大脅威になると見なされる訳だ。イランは脅威の根源の1つなのである。しかも、イランの新大統領は、極端な急進派イメージを与え続けているから、脅威感は増す一方である。

 この状況を冷静に眺めればどういうことか。

 「悪の枢軸」とは、米国の外交戦略にすぎない。それだけの話である。力の外交を貫くという意志表明とも言える。
 しかし、この戦略を変えさせる力を持つ国は存在しない。米国国民がこの方針を是としているのだから、如何ともしがたい。
 「悪の枢軸」の設定が恣意的と批判する人がいるが、的外れだと思う。どの国が当てはまるのか定かでないから力の外交ができるのである。米国覇権に反旗を翻す国は「悪の枢軸」に認定されかねないのである。
 こうした動きに反撥する国が出るのは、当然だろう。
 しかし、グローバル経済の仕組みを支えているのは米国であり、口で反撥したところで、潮流を変える力にはなり得まい。逆に、そうした反米路線を採用する国は、投資が引きあげられ、貿易も縮小し、国民経済は上手く回らなくなる可能性が高い。

 それでは、「悪の枢軸」に認定されたイランの方針とはどんなものか。こちら側の選択肢は極めて狭い。
 イランに脱化石エネルギー技術を保有させないように、欧米は画策していると見なしているからである。宗教指導者が、イランの技術が200年も遅れている理由は欧米の姿勢にある、と国民を煽っており、どのような政権だろうが、原子力研究と原子力発電所建設を進めない訳にはいかないのである。
 穏健派と急進派の違いとは、この進め方のちょっとした違いにすぎない。穏健派なら、国際ルールを守りながら進めることで、コンフリクトを避けるというだけのことである。

 しかし、どのような政権だろうが、大国化を目指している。時間軸は違っても、核兵器保有が目標にならない訳がない。「エネルギー問題」とは、その一歩であることは間違いない。それに、隣国が保有国なのに、安全保障体制は何も無い。
 核兵器保有を目指すのは、極く自然な動きである。逆に、その方向に歩みを進めない方がおかしい。

 従って、イランが公然と核保有に動く可能性もある。
 なにせ、北朝鮮が核拡散防止のNPTを脱退したところで、たいした変化はなかった。それに、イランにとって核兵器開発は難しいことではない。
 ロシアには技術提供を迫るだろうし、それが駄目なら中国だ。さらには隣国の胡散臭い裏ルートにも手を伸ばすだろう。時間がかかってもかまわないなら、自力という手も残っている。

 イランにその気がある限り、核兵器開発は阻止できないのである。
 本気で阻止するつもりなら、軍事介入しかない。

 それが可能なのは米国だけである。
 そして、国連安保理付託に熱心なのは米国だけ。しかも、核関連施設への軍事攻撃も辞さずというニュアンスの発言を繰り返している。力の外交なのだから、当然の姿勢である。

 欧州は軍事攻撃に反対するだけ。イランは、原子力研究と原子力発電所建設を放棄できないのに、欧州外交で妥協が成立する筈がなかろう。
 米国とイランの対決を先送りするには、米国とイランが、「エネルギー問題」で、なんらかの妥協を図るしかない。しかし、そんなことができるとは思えまい。

 さて、この先、どのような流れがあり得るか。

 3択で記載するとわかり易い。

 1. 米国による軍事侵攻(警告的な制裁とそれに続く拠点破壊)
 2. 核拡散防止の新体制(原子力発電所・核兵器のバーターと地域安全保障のパッケージ)
 3. 放置(成り行きまかせ)

 冷戦構造の歴史を振り返ると、無駄に見える外交交渉をダラダラと続けたり、実効が薄そうな取り決めを繰り返していたように思える。それでもなんとかなった。
 つまり、米国による安定を前提とし、皆で美味しいところをいただこうという考え方もありうるかもしれない。成り行きにまかせるのである。しかし、それが上手くいくか、はなはだ疑問である。

 と言って、米国まかせの国々が、突如として新体制を作れるだろうか。
 それが無理なら、残る選択肢は1つしかない。


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