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2006.3.13
 
 


イスラム宗教国家について勉強してみた…

 あちらこちらで、イスラム教宗教指導者が、米国のイスラム分断策動にのるな、と主張しているようだ。言うまでもなく、イラクのシーア派とスンニ派間の武力衝突が内戦化しないように、訴えているのだ。
 一見、イラク問題に見えるが、イスラム復興運動が世界的に広がり始めた兆候かもしれない。

 イスラム国の国民にとっては、米国の動きは、被支配感を感じさせるものばかりだから、どこでも反米ムードが高まっている。おそらく、国連も、イスラムの意向をさっぱり取り入れようとしない組織と見なされているだろう。そもそも、アラビア語が公用語になっているにもかかわらず、安保理常任理事国は中国以外、すべてキリスト教国なのだから。

 そんな状況で、石油輸出イスラム国は潤沢な収入を得て、国力が急速に増している筈だ。その資金は確実に中東各国に回る。
 従って、米国主導の世界から離れ、イスラム教徒団結を呼びかける動きが奔流化してもおかしくないのである。

 ・・・と言っても、欧州の新聞のコラムを眺めていて、なんとなく感じるだけ。確信がある訳ではない。
 日々のマスコミ報道を見る限り、全く逆だ。イスラム宗派間抗争がますます激化している印象を受ける。

 う〜む。

 全く逆の見方も考えられる時は危険信号である。

 その昔、カンボジアがポルポト政権だった時を思い出してしまう。この政権の暴虐性を指摘した国はあったのだが、そんな情報は隅に追いやられてしまった。なにかおかしいと感じていた人も多かったが、そんな発言ができる状態ではなかったのである。情報が僅かな時は、ドグマ論者の意見や、政治宣伝に惑わされかねないのだ。

 今もそんな状況かもしれない。

 特に、アラブ民族主義、イスラム運動、原理主義など、すべてを雑炊的に記載する訳知り的な解説は要注意である。
 もともと、アラブは四分五裂状態だった。ごちゃ混ぜにすると、わからなくなるだけである。

 情報が少ない時は、おおきな流れを捉え返し、自分の頭で考えるのがベストである。

 そんな観点で、イスラムの流れを振り返ってみた。
 まあ、素人の勉強といったところである。

 そもそも、イスラム教とは、ムハンマドが創始した宗教だ。日本でいえば、法隆寺建立の頃のことである。宗教ではあるが、西欧の侵略に対抗できるイスラム共同社会を作る運動でもあった。(1-1)
 キリスト教やユダヤ教がアラブに流入し始め、多神教の部族社会が揺らいでいた時、社会改革の動きが発生したということだろう。この運動の本質は、言うまでもなく、教団国家の樹立である。

 従って、622年の教団国家樹立がイスラム暦の元年となる。これこそイスラム教の原点だ。

 632年にはムハンマド病没。その後は、預言者ムハンマドの代理たる世襲のカリフが治める。

 そして、661年にウマイヤ朝樹立。カリフは世襲から、イスラム共同体の代表に変わった。とはいえ、ここまでは、どう見てもアラビア半島中心の国だ。征服運動は盛んだったが、本質的には民族国家でしかない。
 ところが、権力闘争が発生し、750年にアッバース朝が樹立され、ウマイヤ朝は力を失う。ここから、本格的に、イスラムの下での平等主義に移行することになる。宗教がアラブ民族主義を圧倒したのである。その結果、イスラム帝国は空前の繁栄を謳歌することになる。

 この時代の初期の対立が、未だに尾を引いている。
 立国時の流れを汲むのがシーア派(ムハンマドの従兄弟、4代カリフ、アリーまでの世襲を正統と見なす党派)で、イスラム大国への発展を肯定するのがスンニ派(共同体がカリフを選定するとの慣習を正しいと見る党派)である。

 スンニ派対シーア派の対立があろうとなかろうと、出自は、西欧に対抗するイスラム共同体を作る運動であることを忘れるべきではなかろう。コーランは3代カリフの時に編纂されたが、信仰者は“決して壊れることのない”(2-1)堅固な絆をむすぶことが示されている。

 これを西欧の視点で見れば、キリスト教に対抗するために、キリスト教を受け継いだ戦闘的な新興宗教ということになりそうである。

 逆に、イスラム信仰者にとっては、カリフが指導していた黄金期こそ社会のあるべき姿ということになろう。
 その勢力範囲は、アラビアを中心に、東はペルシャ(イラン)からその隣のスタン国家群、さらにはモンゴルまで、北はトルコ、西はベルベル一帯(北アフリカ+イベリア半島)に及んだのである。

 一方、この時のキリスト教世界といえば、ギリシアの知識を封印するなどして、閉鎖的な社会への道をひた走っていた。
 グローバル化に成功したイスラム帝国とは対照的である。イスラムの平等思想を梃子に、国際貿易を活発化させると共に、征服活動を展開し、科学技術の融合による技術革新も実現したのである。
 現代の科学の基盤はこの国が完成させたと言える。
 (アリストテレスの自然観、ユークリッド幾何学、インド代数学、アラビア数字、緯度経度測定の天文学、精製・蒸留法の化学、帝王切開の医学、中国の製紙法、・・・)

 さらに言えば、異端を処刑したキリスト教圏とは違い、反抗せずに納税さえすれば異教徒に対して寛容だった点も、勢力範囲拡大に寄与したということだろう。回教という名称が使われるのも、平和的な改宗が多かったことを示しているらしい。

 とはいえ、寛容なのはイスラムの覇権を認める者に対しての話である。対抗する者に対しては容赦ない宗教だ。信仰者は財産と命をなげうって、非イスラムと戦うことが求められる。(2-2)

 結局のところ、700年代末頃が最盛期だったようだが、繁栄と同時に地方分権化が進展し、帝国は分裂していく。

 それでも、イスラム圏は広がった。そのなかで、トルコ・クルド・ベルベル系は軍事強化の道を歩んでいくが、アラブ系は商業国家的性格が強かったようで、イベリア半島のグラナダ辺りを除いて、力を失ってしまう。
 そして、スンニ派のオスマン帝国(1299年〜1922年)(1-2)の登場まで、イスラム圏は統一されることはなかったのである。
 この先はもう現代史の領域である。特に記述する必要もあるまい。

 そして、現在はどちらに向かっているのか。

 大きな流れとしては、宗派対立というより、政教分離型世俗政権が揺らいでいるということのようである。民族独立を果たしても、さっぱり生活がよくならないため、日々の生活に係わりが深い宗教勢力への支持が急速に高まっているということだろう。

 しかもアラブの大国イラクは、米国がフセイン世俗政権を打倒したため、宗教勢力が主流の国に衣替えするしかなくなった。
 その隣のイランは選挙を通じて、より宗教色濃厚な政権が生まれてしまった。
 エジプトでも宗教政党の力が増した。
 米国が選挙を勧めたお蔭で、世俗派の力が弱まり、イスラム宗教勢力が躍進したとも言える。

 なかでも象徴的なのは、欧州の一員と認められたトルコの動きだ。ここでも宗教勢力が強い。政権がこれ以上宗教色を強めれば、軍部のクーデターが発生しかねない状況かもしれない。この国は、オスマン帝国の旗を掲げてはいるが、1923年の建国以来、宗教政党を認めない方針を貫いているのだ。

 サウジアラビアにしても、米国協調路線を敷いてはいるものの、理念上はまぎれもなきイスラム共同体である。イスラム同胞への援助を止めることはできないし、異教徒の支配に対しては、戦うことになっているのである。そのことは、国旗が示している。地はイスラムを象徴する緑。そこに白抜きの刀。そして、“アラーのほかに神無し. ムハンマドはその使徒なり.”との信仰告白が記載されている。まごうことなき、宗教国家なのだ。

 今のままなら、中東から北アフリカにかけてのイスラム圏が次々と宗教国家化してもおかしくない。
 そうなると、この動きを阻止しようとの動きや、これを利用して石油の利権を獲得しようの動きがでておかしくない。

 そんな文脈で、イラクの内乱やイランの核問題を見ていく必要がありそうだ。

 --- 参照 ---
(1) 百科事典ウィキペディア日本語版
(1-1) イスラム教
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99
(1-2) オスマン帝国
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD
(2) コーラン(「聖クルアーン(第6刷)」」日本ムスリム協会訳) http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/koran_frame.html
(2-1) [2-雌牛章 256節]
   宗教には強制があってはならない。
  正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。
  それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。
  アッラーは全聴にして全知であられる。
(2-2) [47-ムハンマド章 4〜6節]
  あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。
  かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。
  その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。
  もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。
  だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。
  凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない。
  かれは、かれらを導きその情況を改善なされ、かねて告げられていた楽園に、かれらを入らせられる。
   [61-戦列章 10〜12節]
  あなたがた信仰する者よ、われは痛苦の懲罰から救われる一つの取引を、あなたがたに示そう。
  それはあなたがたがアッラーとその使徒を信じ、あなたがたの財産と生命をもってアッラーの道に奮闘努力することである。
  もし分るならば、それはあなたがたのために最も善い。
  かれはあなたがたの様々な罪は赦して、川が(木々の)下を流れる楽園に入らせ、アドン(エデン)の楽園における美しい邸宅に住まわせる。
  それは至福の成就である。

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