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2007.5.21
 
 


本格的シンクタンク待望論

 日米の両方のシンクタンクに勤務している方が、“個人に力点を置くか組織を重んずるか”で、日米間には相当な違いがあると、語っている。(1)

 小生はシンクタンク勤務経験はないが、共感を覚えた。
 日本企業から、米国企業に移り、本社に挨拶に行った時を思い出したからである。
 昔の話だが、早朝の、仕事が始まる相当前に、“Hello”と声をかけにいったのである。ところが、いきなりトップ数人が集まる朝の定例経営会議に同席させられてしまった。しかも、意見まで求められたから、大いに驚いた。およそ、日本では考えられないことである。
 組織は、個人の才能を見つけ、それを開花させるためにあると実感させられた、貴重な体験だった。
 個人主義の国と言うが、皆、組織に育てられることで、個人の力を大いに発揮するのである。
 その時の印象を一言でまとめれば、米国の組織おそるべし。

 それでは、日本は正反対なのだろうか。
 ここが肝要。

 日本人は、組織のために働くことを美徳と考えており、小さい時からそうした訓練を受けてきた、と教わっている。なかには、日本人は世界一組織好きで、組織に属さないと生きていけない、と話す人さえいる。
 従って、どうしても、組織至上主義が日本の伝統と考えがちだ。
 しかし、本当だろうか。それに当てはまらない人も結構多いからである。

 このシンクタンクに勤務する方は、おそらく、そんな感覚に陥ったのだろう。
 日本伝統の、剣道、柔道、空手、相撲のどれ一つとして、組織対組織の戦いではないのに、“本当に日本人はもともと組織を好むのだろうか?”と疑問を呈されているからだ。

 ご指摘の通りだ。
 組織は嫌いだが、入っていないと信用されないから致し方なし、というのが実態。
 組織に入らないと村八分にされかねないから、とりあえず入れそうな組織に加入するだけのこと。
 そして、一旦入ってしまえば、あとは組織のために一生懸命働くしか、自己実現の場は無い。内部競争になるから、その副作用を抑えるためには、どうしても組織内での協調性と、組織外への排他性を強める必要がある。
 簡単に言えば、互いに裏切れないような仕組みを作るしかないということ。

 こうした掟に従わないと、組織によかれと真面目に働いていても、痛い目を見る羽目に陥ることがある。考えもしない人から、中傷攻撃を受けたり、嫉妬に満ちた陰口が浴びせられることも少なくない。

 話はとぶが、日本のウエブが貧困な理由もここにありそうだ。
 自由に意見を述べることができる立場の人でも、オープンな場での発信を避けているようだ。情報はできる限り内輪だけに流し、自分の意見は知り合いに小出しにすることで、組織成員としての立場を鮮明にする訳だ。外部への発信に力を割いて、足でもすくわれたらたまらないということ。

 こんな状況が続いていたら、“組織やチームワークを乱す、革新的、創造的な行動や新構想は排除され”続けてしまう。

 “新しい国際秩序の構築が想像以上のスピードで進展している中で、日本にも本格的なシンクタンクが必要である。しかし、それが組織に力点を置くものならば、シンクタンクとしては機能しないと思う。”・・・全く同感。

 --- 参照 ---
(1) 中野有: 「日米のスポーツから考察するシンクタンクのあり方」 萬晩報 [2007.5.10]
  http://www.yorozubp.com/0705/070510.htm


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