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2008.1.28
 
 


1870年頃のアナロジー話…

 元旦の記事を見直してみた。
 そのなかで、1870年代を振り返って、時代感覚を研ぎ澄まそうと呼びかけるようなNiall Fergusonの話が面白かった。
 題して、オスマン帝国の警告である。(1)

 もちろん世界史の大きな流れで現代を捉え返すという趣旨だ。
 つまり、時代の転換点を迎えたのではないかということ。

 1870年代、衰退の兆候が現れた大国とはオスマン帝国。
 海外から調達した膨大な資金を、クリミア戦争や軍事強化、鉄道・運河・王宮等の建設に惜しげもなく投入していたのである。
 対外債務が積もり積もって、1873年の金融危機に対応できなくなり、1875年、国家財政はついに破綻。そして、債権は欧州の管理下におかれ、スエズ運河の歳入は英国の手に落ちる。その資金を提供したのがロスチャイルド。その後、帝国は凋落一途。
 パワーは、債務者側から、債権者側の欧州へと移行したという訳。

 2008年、膨大な対外債務を抱える国がある。勝てる見込みがない戦争に、外国から借金をして、膨大なお金をつぎ込む。一方、戦略物資である石油は、外国に頼る状況にあるが、その価格が高騰してしまった。
 あげくのはてに、金融危機発生。しかし、借金まみれの政府の力では対応できない。
 ただ、オスマン帝国とは違い、破産者は政府ではなく、サブプライムローンの借り手。
 だが、海外の債権者に資産を切り売りして生き延びるしかないという状況は同じ。
 金融機関が融資を縮小することを避けるためには、海外に救済を頼むしかなく、金融機関の株式を売るしか手はないのだ。

 当然ながら、・・・
 “Debtor empires sooner or later have to do more than just sell shares to satisfy their creditors.”

 そういえば、同じ頃、日本でも大きな変化がおきていた。

 1866年、徳川家の家督が病弱な家茂から、慶喜に移った。攘夷論者が大きな力を持ってきた頃だ。
 世は騒然としており、内乱の危機。

 しかし、翌年、慶喜は権力を攘夷側に譲ることで落着。そして、世の中は一変する。
 全員覚えさせられる歴史用語、大政奉還のお話。
 しかし、理解不能なのは、“攘夷”という名称。
 攘夷とは、尊王思想と結びつき、外圧に屈せず、外人を排斥すべしと主張の筈。開国やむなし論者の対極だ。
 ところが、権力を握ったとたん、開国活動に邁進。世界の現実を直視すれば当たり前の態度だが、その豹変ぶりには恐れ入る。

 実際、富国強兵策の展開スピードは驚くほど。つまり、主張の本質は“尊王攘夷”ではなく、“change”だったということだろう。
 世界最大の富岡製糸工場ができたのはなんと明治5年(1872年)である。恒常的な赤字事業だったそうだが。(2)

 まあ、そんなことはどうでもよい。
 この「家茂→慶喜→攘夷派親分」という権力移行を、現在の日本の政治家に当てはめ、アナロジーで語るとどうなるだろうか。
 こちらも正月話としては結構面白いかも知れない。

 こんなことをつい書いてしまったのは、「“平成の”民権運動」との発言(3)を聞いたから。アナロジーは人々の琴線に触れるということなのだろう。
 ともあれ、時代の転換点が訪れているのは間違いなかろう。

 --- 参照 ---
(1) Niall Ferguson: “An Ottoman warning for indebted America”Financial Times [2008.1.1]
  http://www.ft.com/cms/s/6667a18a-b888-11dc-893b-0000779fd2ac.html
  著者現職: Harvard大教授, Hoover Institutionシニアフェロー
(2) http://www.pref.gunma.jp/cts/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=4584
(3) 北川正恭・発起人代表 発言要旨 “総選挙にむけ「せんたく」発足 「平成の民権運動」を推進” [2008.1.20] 
  http://www.secj.jp/pdf/080120-2.pdf
(写真) (C) フォトライブラリー http://www.photolibrary.jp/ [ID:156177 “トプカプ宮殿表敬の門”]


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