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2008.4.24 |
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チベット動乱を眺めて…チベットは、コソボとは違い、欧米から見捨てられることになりそうだ。理由は自明。 どの先進国も、経済大国化した中国との関係を悪化させて、グローバル経済を動揺させたくないからである。人権擁護の旗手との自負があるフランスにしても、ブランド品輸出ビジネスが無くなりでもしたら一大事だろう。 そこまでのリスクをおかしてまで、チベット民族を支えたところで、見返りも期待できないから致し方あるまい。 それが現実の政治である。 リアリズムに徹すれば、驚くようなことではない。世界を眺めれば、状況判断を間違って文化基盤を失った民族だらけだ。 オーストラリア先住民族の悲惨さはよく知られている。後になっていくら謝罪をしてもらったところで、その文化を取り戻すことは二度とできない。基盤を崩されてしまえば、いかんともし難いのである。 中南米では、古代から続いてきた言葉や歴史は考古学の世界に追いやられている。わずかに残る原住民が、痕跡的な文化を残すだけ。 チベットも同様の道を歩むことになるかも知れない。 もともとは、中国と対峙した西の大国だったが、中国に併合され、今やその文化は博物館モノになる可能性まででてきたということ。 繰り返すが、こんなことは別に珍しいことではない。お隣の、朝鮮民族の多難な歴史が典型例。 中国や日本と比較して歴史書が乏しいことが、属国期間が長かったことを示している。 それは過去の話でもない。韓国は自力で独立を勝ち取った訳ではないし、発展途上国から脱したのも、政権が倒れないようにとの他国の大規模支援あっての話だ。(韓国が北朝鮮から対等扱いされない所以でもある。) そして、未だに、民族分断に対して、自ら打ち手を提案さえできないのが現実である。 このためかはわからぬが、南も北も、精神的に相当屈折していそうだ。なかでも、目立つのが、民族差別意識が高そうな点。 そう思うのは、まともな中華街が見当たらない珍しい国であるし、1992年のロサンゼルス暴動でも、襲われたのはもっぱら韓国系商店だったから。部族国家にも似た排他性を感じてしまう。 それに、米国留学を望みながら、心情的には反米という状況も、理解しがたいものがある。米国文化に感銘し、キリスト教に改宗した人が大勢でたのかと思っていたが、そういう訳でもなさそうである。その心情ははかりかねる。 しかも、普通なら、そうした排他的体質からの脱皮を図るのが指導者の役割だと思うが、この国では逆の政治家が力をふるってきた。 “面子”の追求のために排他的行動に出ているようにも見えないことはないが、権力維持のためにはそれしかないということだろう。極めて、危険なやり方だ。この体質が、大国に翻弄され続けてきた遠因との感じがしないでもない。 話がそれてしまったが、このチベット動乱はおこるべくしておきたものだと思う。 報道を調べたところで、実態がわかる訳ではないから、推測でしかないが、民主化闘争やかつての独立闘争といったものではないだろう。 チベット民族にとって、チベット仏教は吐蕃時代からのもの。信仰が生活の一部であるのは間違いなかろう。例えば、Jokhang寺は、海外から見れば観光地でしかないが、五体投地の参拝姿を見ることができることからわかるように、そこはチベット仏教の大本山でもある。今や、寺の周囲が観光客で埋まる状況のようだが、これに僧侶がどこまで耐えられるか。 急速に進む近代化のなかで、僧侶が宗教的自由を失いつつあると感じているのは間違いあるまい。抗議活動があって当たり前だ。そして、中国共産党はこうした動きに対しては弾圧で応えることになる。芽のうちに摘むということ。 しかし宗教弾圧に映れば、民衆は黙っていられなくなるだろう。 チベット独立運動過激派や中国共産党にとっては、こんなことは前から予想していた筈。 暴動を仕掛ける勢力もありそうだし、挑発して、不満分子を浮き出させた可能性もある。おそらく両方だろう。 旧ソ連邦でよく見かけた構図とそっくりである。なにせ、スターリンは、民族運動発生を抑えるために、大規模な民族大移動や、意図的な民族混生まで図ったのだ。対立の余地がありそうな民族/宗教運動に対しては徹底的な弾圧が鉄則である。妥協は、政権を失うことにつながりかねないからだ。 ソ連は、その一方で、ロシア民族の命運を賭けて戦争体制構築に注力する雰囲気をつくりあげた。 大国としての求心力を生み出したということ。その動きを理解していた非ロシア民族は大きな被害を避けることができたが、敵対した民族は悲惨な目にあった訳だ。 中国共産党もソ連邦共産党と根は同じ。多少目立つ点と言えば、漢民族移住や言語統一を推進した点か。そして、他国との戦争をできる限り避け、先ずは国内の近代化と経済発展に専念するという方針を採用し、大国化を図った訳である。 従って、胡錦濤政権の動きを「人権」の観点から批判したところで、理解されることなどありえない。 かつての日本の植民政策を振り返ってみればわかる話。 植民地化は、他国への侵略だが、正当性の理屈ゼロという訳ではない。この論理を無視して大国に楯突くと、民族存亡の危機に瀕したりすることが多いのである。結局のところ、ただただ、排他的に動くしかなくなるからだ。歴史の教訓では、視野が狭い民族主義者をリーダーに選ぶとその道を歩んでしまうことが多い。 そもそも、植民地化に当たっては、たいてい、遅れた文化生活をおくっている人民を、進んでいる民族の文化で救おうという錦の御旗が掲げられる。大国意識を持つ国には、多かれ少なかれ生まれがちな発想だ。それは、今でも変わらない。 例えば、以下のようなもの。 ・蒙昧な思想の改造・・・迷信の一掃と宗教勢力の世俗化 -呪術治療禁止 -宦官禁止 -風水設計禁止 ・奴隷解放(身分制は維持)・・・腐敗した特権階級の弱体化 ・大学設置・・・新指導層の育成 ・経済振興・・・大胆なインフラ整備と投資の引き込み -貨幣経済化(宗主国通貨) -交通整備(道路/橋梁/鉄道) -軽工業振興 ・宗主国の言語普及・・・コミュニケーションの壁を払い経済文化活動を活発化 日本の植民地化政策を思い浮かべながら適当に記載してみただけだからどこまで当たっているかわからぬが、チベット統治でも、該当する項目は多かろう。 要するに、発展途上国の文化を遅れたものと見なしたということ。宗教勢力の抗議活動は、この遅れた文化を維持しようとする動きと映ってもおかしくないのである。近代化を目指して全力投球する中国共産党にとって、そんな運動を放置はできないというだけのこと。 しかも、この近代化は宗主国に実利を伴う。圧力があろうがなかろうが、この姿勢を変える理由は見当たらない。 --- 参照 --- (チベットの寺の写真) (C) 癒しのひとり旅 http://wonder-world.net/index.html “チベット 大昭寺” 政治への発言の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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