↑ トップ頁へ |
2008.9.8 |
|
|
日本の農業問題を考える[3]…高齢者が増え、維持が難しくなってきた農業集落が増えているということで、限界集落とか、崩壊集落という用語を見かけることが多くなった。そんなことは、昔からわかっていた話。政治家のせいにしたがるが、農民自らが選んだ道である。水田面積も耕作者も膨大な過剰なのに、票田の力で、合理化阻止・現状維持要求をすれば、どうなるかわかりそうなものだ。誰が考えても、離農者を増やしながら、残った農家収入を増やす、微妙なバランス策以外に手段はなかろう。 そのため、農家援助の仕組みを利用した無駄なビジネスが大発生している訳だ。耕作者より、その支援セクターで食べている人の方が多いと揶揄される状況なのである。しかも、流通業にまで、この非合理的仕組みを浸透させてしまったから始末が悪い。まともな経営者が損をする仕組みができあがりかねないからだ。それでも、たいして気にかけなかったのは、経済発展の牽引車たる産業が意気軒昂だったからにすぎない。社会が安定しているなら、その程度のコストはかまわないと見なしたのである。 くどいが、日本の農業政策とは産業政策ではなく、集落維持を図る福祉政策だった。ところが、これがついに限界点を迎えた。国力が落ちてしまったからである。
それよりも問題なのは、大半の水田の方である。すでに、田舎のお墓の都会への移転が始まっているらしいから、集落が有名無実化する可能性がでてきたようである。ここでの問題は、給与所得者と生計を共にする自称農家に、その認識が薄いこと。今後も、なんとかやっていけると考えているようなのだ。今迄も、低収入層が次々と廃業していったように、さらに農家が減るだけと考えてしまいがちなのである。
もともと、資本効率を上げる経営などしていないから、耕作経費が上昇するとたちどころに、持ち出しになりかねない。そこまでして、耕作を続ける人はいまい。つまり、今まで揃えてきた機械の寿命と共に、耕作は止めるということである。 この結果、集落は、廃田や委託栽培田だらけになる。これだけ聞けば、表面上は、現在の延長上。しかし、現実には、他地域から耕作者が入ってくることを意味する。今までの農耕ルールは無視され、集落内での諍いも頻発するだろう。耕作者の仕事に合わせて行われてきた地域行事は全廃するしかなかろう。その結果、集落としての一体感は喪失する。集落に住んでいる意義が失われれるから、移転者は増えよう。そして、集落のインフラ維持は難しくなっていく。 今のままなら、このような集落衰退シナリオしか描きようがないと思う。そして、集落維持政策が不要となる。 稲作農家は、この道を歩むつもりなのだろうか。コレが日本の農業問題である。 --- 参照 --- (地図記号のイラスト) (C) Free-Icon http://free-icon.org/index.html 政治への発言の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
|
(C) 1999-2008 RandDManagement.com |