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2009.1.15
 
 


次の覇権国を考え始める時代が来たようだ…

 2009〜2019年度米国政府予算の見通しが、1月7日、CBOから公表された。
 当然ながら、巨大な財政赤字ということ。Blogに記載されているポイントを読めばその特徴が読みとれる。ここだけはおさえておいた方がよいと思う。
  → “The Budget and Economic Outlook”
      By Robert A. Sunshine
[Acting Director, Congressional Budget Office] (2009年1月7日)


 言うまでもないが、新政権の政策を反映しきれたものではないから、実際に蓋を開ければ、とんでもない債務残高になると見てよいだろう。CDP比で8割を超えるのは確実だろう。
 借金がここまで溜まってくると、米国覇権が崩れ始めるのは間違いなかろう。
 いよいよ、評論レベルではなく、本気でこの先を考えるべき時代に入ったということである。

 そうなると、世界は多極化すると、お気軽に見ている人がいるようだが、歴史を見れば、それは不安定で辛い時代の到来を意味する。大規模戦乱発生の可能性が一気に高まる。大恐慌どころの話ではなくなる。間違った方向に進まなければよいのだが。
 心配になるのは、傲慢な米国憎しからの、多極化期待感が生まれ始めている点。心情的にはわからないこともないが、リアリズムに徹して世界を見つめて欲しい。

 素直に歴史を眺めれば、多極化による安定など夢物語。・・・覇権国がある時だけ、世界は安定していた。もちろん、その副作用は小さくないが、日常的な大混乱の発生だけは避けられる。
 当然ながら、それを是としない、準覇権国も勃興してくる。だが、たいていは、覇権国の仕組みが優れているから、その構造に国の基盤を侵食されていくことになり、結局没落するしかない。
 それぞれの国は、どちらかの影響圏に属して生きていくしかない。もちろん、両勢力から距離をおく姿勢も有り得るが、格好がよいが、国は衰微一途となり、国民は塗炭の苦しみを味わうことになるだけの話。武士は喰わねど高楊枝が通用することはなく、普通は本当に食えなくなる。

 従って、普通の国は、覇権国と上手くつきあえるかで浮沈が決まる。これを間違うとえらいことになる。それが歴史の教訓ではないか。

 第二次世界大戦を見ればわかる。
 マクロでは、世界は明らかに英国覇権下だったが、それぞれの国から見れば多極化が進んでいたように見えたに違いあるまい。そして覇権国に対抗していた、準覇権国がドイツだ。この状況で、日本は独との同盟を選んだのだから、その判断能力の低さには呆れかえる。覇権国になれると夢想したとは思いたくないが。
 間違った勢力に加担すれば大損害を被るのは当たり前。しかも、米国への覇権移行が進んでいることも気付かなかったようだ。これでは、国が沈没して当然。

 これに比べると、徳川幕府の為政者は世界情勢の読みでは傑出していたように映るから不思議だ。
 鎖国政策を採用していたと習うが、それは国内から見ての話。外交と貿易は幕府の専管事項というだけの話で、海外から見れば、覇権国たるオランダの勢力圏に属していたと見られていたのでは。対抗国たるフランスとは、決して関係を結ぼうとはしなかったのは正しい姿勢だ。

 そして、オランダが合理主義的で、イエズス会派遣的な動きをせず、貿易中心であることを早くから見てとり、キリスト禁教施策を徹底したと思われる。もしもオランダの方針が違っていれば、異なる政策を展開したのではあるまいか。
 当時の為政者は、実に、世界を良く見ている。種子島に到来したのはポルトガルだが、覇権国はスペイン。西葡世界分割統治を見て取った上で、覇権移行の可能性を考えながら、用心しながら準覇権国のポルトガルと交流を進めたようだ。
 そして、オランダが覇権を握ったのを確信してから、一気に関係を深めたとしか思えない。島国根性の特徴とは、こうした外交の調子のよさでもあろう。幕府は最後まで、そんなプラグマティズムを貫いていたように思える。大政奉還とは、蘭国から、英国に力が移行してきたのをすでにわかってからだ。これでは、政権を投げ出すしかなかろうと決めたとも言えないこともない。
 そして、明治政府は世界の状況をつぶさに観察。当たり前だが攘夷など続ける訳がない。先進国すべてと交流を深めながら、覇権国の英国との連携を最重視したのである。実に的確な判断だった。
 もしも、この過程で、間違った方針をとっていたり、中華政権と提携してアジア重視などと主張していれば、植民地化されていた可能性もありそうだ。

 こんなことを考えると、第二次世界大戦後、自民党政権が、覇権国たる米国との同盟関係を最優先してきたのも、妥当なものと言える。覇権国の指示に盲従する政権と見る人がいても、まあおかしくはなかろう。対立する訳にはいかないのだから。
 もしも、対抗するソ連圏に入っていたらと思うとゾッとするではないか。もっとも、なかには、その方がよいと言う人もいるそうだが。

 問題は、これからどうなるかだ。
 どう見ても、国との関係を悪化させず、次なる覇権国と深い関係を構築していく必要があるということだろう。平和裏に覇権移行を手伝うということでもあろう。これは、簡単なことではない。

 ちなみに、覇権国たる所以は、以下の順番で考えると見えてくる。
  (1)  安全保障体制構築でのヘゲモニー(軍事技術での覇権)
  (2/3) 食糧供給能力(農業生産技術での覇権)とエネルギー生産能力(資源開発技術での覇権)
  (4)  交易ルール設定能力(金融技術での覇権)
  (5)  一般産業競争力(産業技術とインフラの優位性)
 核抑止力と空母・海兵隊派遣力では軍事的優位が発揮できなくなりつつあり、石油と農産物を安価かつ大量に供給できることも難しくなってきた上に、ドル決済シェアが落ちてきた。しかも、多くの産業で競争力を失っているから、斜陽化は間違いない。
 しかし、その一方で、上記の項目すべてで力が発揮でるような覇権国候補を欠くのが現実。と言うことは、イノベーティブな思想を打ち出すことで、新たな力を生み出す国が生まれる可能性がでてきたということだろう。

 日本は、(1)〜(4)で力を発揮するつもりはないと称して、覇権国にすり寄ることで、上手く経済発展を遂げてきた。だが、覇権国が斜陽化すれば、そんなことを続けていれば、没落を余儀なくされる。時代の変わり目であることを肝に銘じ、新しい取り組みを始める頃合だと思う。

 これからの舵取りは難しい。そんな時、狭い視野で動く政治家が跋扈することだけはご勘弁願いたいものだ。


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