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2010.7.12
 
 

雑感: 参議院選挙…

〜 民主党支持の急減には唖然。 〜
 いや〜、参議院選挙の結果にはびっくりした。
 6月初旬の時事世論調査によれば、参院選比例代表の投票先は、民主27.1%、自民15.4%と大差。両党以外へ流れる票が増えている上に、自民党の議席数の変化は「64→49→37→?」だから、これでは自民党は壊滅的議席数になるのは確実と思ったが、結果は全くの逆。(「参院選の票読み」[2010.6.21])
 選挙のプロの予測がどうなっていたのかは知らぬが、素人の大雑把な見方は全く当たらないことがよくわかる。
 それにしても、これほど短期間に動向が大きく振れるのだから恐れいる。

 ともあれ、これで政権は不安定化する訳だ。

〜 争点がよくわからぬ選挙だった。 〜
 ただ、選挙そのものは、消費税の話ばかりで、それも一体何が争点なのか曖昧なまま。自民党政治をこのまま続けるか否かという至極単純なテーマだった衆議院選挙と大きく違い、実にわかりにくい選挙だった。
 その理由の一つが、ミニ政党だらけになったことがあげられる。閣内の亀井・福島両大臣の動きが大きくとりあげられ続けたため、ミニ政党がキャスティング・ボートを握れるということで、渡辺新党、与謝野新党、舛添新党、知名度が低いが自治体首長の政党と続々誕生。
 このゾロゾロのお蔭で、議論はごちゃごちゃ。数が多くて、もうマニフェストどころではないし、論点も絞りようがない。
 これでは、どう日本を変えるかではなく、どの政党が何をしてくれるかという判断しかつくまい。

 なかでも、今回の選挙戦の質を落としたのが、消費税の話。いつ何%に設計するかなど枝葉末節な点を取り上げるのだからどうにもならない。税制の抜本改定こそが、今の時代の流れなのに。
 ただ、二大政党対立の構図がどのようなものかははっきりした。要するに、「超大きな政府派v.s.大きな政府派」ということ。どちらを選んだところで、本質的な差はない訳だ。

〜 二大政党共に野合組織なのでマニフェストは霞と化した。 〜
 もともと、こうなる宿命ではあった。自民党は漠然とした保守系というだけにすぎず、与党であることが接着剤の組織。誰がみたところで、その主流は利権政治家層。このまとまりがない政治屋集団を官僚がコントロールする形で政策が打ち出されてきただけのこと。流石に、このままではどうにもならないことが見えてしまったから政権交代が発生したにすぎない。
 一方の民主党は、長期政権の弊害を打破するための対抗軸に過ぎない。寄り合い所帯であり、社会主義者を包含する点で大きな違いはあるが、思想基盤はさらに多岐にわたり、何がなんだかわからぬ組織。旧自民党竹下派(経世会)+旧社会党労組系+旧社会党/旧民社党の構造改革主義者+松下政経塾出身者と、バラエティ豊か。すべてをつなぐ思想などあろう筈もなく、こちらの接着剤も権力奪取以上のものではなかろう。
 政党の傍で生活している人達は、両党の体質の違いをあげる人もいるが、そんなものにたいした意味などあろう筈がない。政治の実態は権力闘争であり、権謀術数は 当たり前であり、そのやり方が多少違うだけの話でしかなかろう。政治家に求められるのは、そんな環境で、大局観を持ちながら、新たな流れをつくりだしていく能力。そんな能力のある政治家に光を当てるのがマニフェスト型選挙。二大政党政治のよいところは、これができること。
 しかし、実際は、それは理想論。両党ともに寄り合い所帯に過ぎないから、マニフェストは曖昧なものしか作らないし、どこまで本気で行うつもりかもわかったものではないからだ。

 その観点では、今回の選挙がミニ政党続出で、まともなマニフェストのぶつかり合いにならなかったのが痛い。日本をどう変えるかの選挙戦ではなくなってしまったからだ。

 従って、自民党復調と言っても、世代交代が進んだことと、選挙期間中、若手が驚くほど勢力的に動いた結果にすぎまい。比例区で票を集める力が戻った訳ではない。ただ、ここで若手を登用できれば、流れが変わり始めるかも知れないが、そうでなければ民主党を超える支持を集める力は生まれまい。

〜 首相の勘の悪さは特筆もの。 〜
 自民党に比べると、民主党はひどかった、と言うか、首相の消費税発言の質の低さばかりが目だった。野党的政治的センスでの権力闘争の感覚しか無いということかも知れぬが、経済や外交の政策説明ができない人かも。もしそうなら、こまったものである。
 それに、政治家なら、麻生政権が高所得者の年金支給一部カットを打ち出しただけで、どんなことがおきたか知らない訳がなかろう。年金生活者の身勝手さから見て、消費税に対してどんな態度をとるかなど自明。政治的勘も鈍そうで、これでリーダーが勤まるのか心配である。
 それは自らを「奇兵隊内閣」と呼ぶ体質にも現れている。そんな発言を喜ぶのはコア支持者だけだろう。
 小生はNHKの大河ドラマを見ないから、竜馬がどう描かれているかは全く知らぬが、竜馬の本質とは胡散臭い政商なのでは。ただ、既存エスタブリッシュメントがどうにも動けない状況であり、それを動かすためには、こうした人材が不可欠だったにすぎまい。従って、非政治家が竜馬が欲しいというのならわかるが、政治家が自らその役割を担うような発言をするのは不適切ではないか。宴会での、雑談とは訳が違うのである。

〜 竜馬の時代は必ず来る。 〜
 ただ、竜馬の時代を思いおこすことは悪いことではない。
 貨幣経済が急速に進み、諸藩は返済不能な膨大な借金だらけでどうにもならない状態に陥っていた頃の話だからだ。まさに現在と同じである。250年賦のリスケまで登場したと聞いたことがある。現在の公的債務と同じで、誰が考えたところで、返済不能なのである。既存の枠組みのままでどうにかなる訳はない。だからこその維新なのだ。
 間違えている人が多いが、竜馬がその道を切りひらいた訳ではない。経済を成長させたのは財閥を率いた若きリーダー達。企業を立ち上げた人々こそ最大の貢献者。そんな人達の事業活動を妨げる勢力の力を削ぎ、産業基盤を整備したのが明治の政治家達である。富国を最重要課題に設定したからこその明治維新の成功である。竜馬は、その露払いにすぎない。
 現代日本の一番の問題は、当時のこのようなビジネスのリーダーに当たる人を発掘し、盛り上げる風土を作ろうとしないことにある。
 自民党のレゾンデートルとしての“保守”とは、どう見ても、衰退するしかない産業の既得権益層の保護だ。民主党は新興産業につきまとう胡散臭さは絶対に許さずが命。どちらも、規制大好きだし、税金バラマキ体質そのもの。どちらを選んだところで五十歩百歩。
 ただ、政権交代が発生すれば、そんな組織のなかから、この風土を変えようとする若い政治家が登場してくる可能性はある。それだけが、日本経済再生にとっての一縷の望み。
 今回の選挙を見ていると、それは夢でしかない。しかし、そんな時はいつか来る。
 「超大きな政府派v.s.大きな政府派」の選挙戦を何時までも続けることができる訳がないから、それは必然なのである。ただそんなことが発生するのは偶然から。
 ・・・今回の参議院選挙は、そんなことを想わせる選挙だった。


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