→表紙
2013.7.3
 
 

帝国への郷愁で一つにまとまる国家、トルコ…

トルコの騒動はわかりにくいものだった。
独裁を許すまじの動きとはいえ、イスタンブールの公園の開発計画を巡っての対立から発生していたからである。それが、すぐに暴力行為に発展した印象があり、挑発分子を仕込んだ周到な計画に世俗派が乗せられたという印象は否めない。
オリンピック対応や、渋滞解消には不可欠な筈であり、「緑地を護れ」というのでは、政権打倒の切欠作りにもならないと見るからでもある。宗教独裁の動きに反対する動きという錦の御旗であれば、軍が世俗派に加担する可能性もあるが、およそそんなことができるような話ではなかろう。おそらく、国の象徴としてのモスク建設が含まれていることで、それでなくとも飲酒規制が始まったから不満だらけの世俗派が動いてしまったのだろう。政治的に余りに未熟に映る。組織的に課題を統一して、欧米の賛意を取り付けながら、宗教独裁方向への流れを押し留めるべきなのに、世俗派にはそれができない訳だ。
コリャ初めから結果は見えているようなもの。

エルドアン大統領は、ご存知のようにEU加盟論者。表面的には、米欧と歩を合わせている訳だ。
チュニジア、リビア、エジプトの独裁政権打倒の民主化運動を即刻支持したし、シリアのアサド大統領追放路線も明瞭。しかも、クルドとの長期抗争を収める取り組みも着々と進めつつある。
およそ宗教独裁イメージとは相容れない。

ただ、イスタンブール市長の時に、「モスクはわが兵舎。ドームはわがヘルメット。(イスラム寺院の)尖塔はわが銃剣。忠実なるはわが兵士」とのメッセージを読み上げて投獄された人物である。そこが大統領の政治的原点であるのは間違いなさそう。
しかし、それを極力抑えた政治を行ってきたのは間違いない。しかし、権力をほぼ掌握できたと踏めば、いよいよ本心に立ち戻って宗教国家化へと歩を進めようと決心してもおかしくはない。
実際、イランや中国よりも多くのジャーナリストを投獄しているという。

となると、この騒動、世俗派が大統領に乗せられたということかナ。

そう推測するのは、大統領が自信を持つのは無理もないからだ。
有権者の大多数は宗教的保守派だそうだし、完璧な世俗派の人々(おそらく国粋系)からもある程度の支持を集めているからである。政権維持に都会のリベラルや、労働者組織の力はすでに不要となったというか、早く切捨てたいと考えるのは自然な流れ。
ここまで支持基盤を固めれば、世俗派が反撥していかに騒ごうが、普通選挙で絶対に負けることはないし、世俗派に軍事独裁待望者イメージを被せてしまえば、民主化を望む層はまとまることができなくなる。それに、軍部もクーデター派は一掃されたから、イスラム主義を受け入れざるを得ないところまで来ていそうだし。
ともあれ、経済が成長している限りは、都会でも、安定を求める声は多いから、世俗派による暴動の徹底した鎮圧は国内的支持基盤強化の最良の手段であるのは間違いない。

これをもう少し高みで眺めると、昔からのトルコに戻りつつあるとも言えよう。
そう考えると、「エルドアンは、すぐに暴力に訴えかねない好戦的男らしさに象徴されるトルコ文化の産物だ。いわば弾丸が装てんされた銃で、操作されたり、突き付けられる可能性があり、危険な存在だ」というのも至極打倒な見方。

おそらく、大半の民衆は相も変わらずオスマントルコの時代到来を夢見ているのだろう。それを実現するのが大統領の役目ということになりかねない。
ダボス会議で発言を制止されて席を立った凱旋帰国シーンがはからずもそれを見せ付けてくれた。なんと、「現代のスルタン」との大喝采。これこそがトルコの体質そのもの。
西アジア全域、北アフリカ大部分、南東欧州を支配し、ローマ教会を受け継いだ一大帝国の想いは、未だに捨てられない訳である。裏を返せば、西欧に対するコンプレックスの塊。
まあ、西欧は、その辺りの心情を利用して、ソ連圏に近しい社会主義化の道を歩まないようにと、イスラム系ブルジョアジーを陰ながら支援してきたため、今のようなトルコの風土を形成してしまったと見ることもできよう。

(記事) エルドアン首相の弾圧姿勢─岐路に立つトルコ By JOE PARKINSON 2013年 6月 28日 15:08 JST 日本版WSJ
 政治への発言の目次へ>>>    表紙へ>>>
 
(C) 1999-2013 RandDManagement.com