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2013.9.5
 
 

薄熙来裁判報道で考えたこと…

中国内部の話だというのに、海外紙には薄熙来裁判記事が満載。まあ、現主席と似た生い立ちであるし、長々と対処策を検討した結果、党内処分で収めず、公開裁判にした訳だから、どういうことか興味津々というところだろう。
たいした情報が開示された訳でもないが、裁判から中国共産党の実像が垣間見えるといった解説が多い感じ。
概ね、こんな感じで見ているようだ。・・・

重慶市共産党委員会Bo Xilai書記長の姿が登場したのは2007年。毛沢東主義をふりかざした大衆運動を繰り広げ、武装勢力の活用も目立つという点では、中国共産党のなかでは明らかに異質な指導者だった。しかし、その運動の実態は至極単純なもの。共産党と結びついていた私的暴力集団や、退嬰的な文化に染まる支配層家族への選別的敵視政策を進めることで、大衆人気獲得を図ったにすぎない。中国の大衆が大いに好む、権力者による一元的武力統治実現を組み合わせただけであり、早い話、リベラル系を党から叩きだすことで、共産党の組織的強化実現を目論んだに過ぎまい。
ただ、罪状は、重慶市関連ではなく、もっぱらそれ以前の大連時代のこと。重慶での政治活動に関係するような話は避けた訳である。

これだけでも、中国指導部がどう考えていそうか、かなり読めそう。
お隣の北朝鮮の場合だと、そもそも思想そのものがよくわからないし、党、軍、独裁者+少数の取り巻きが、どのような思惑で動いていそうかもさっぱり見えない。ゴシップ解説的なものはあっても、背景説明の方はイマイチのものだからけ。従って、エイ、ヤー式の予想しかできない。
これに対して、中国の場合は、それなりの質の報道も少なくない。従って、支配層がどのような思想で動いていそうか見えてくる。解説自体は慎重な言い回しのことが多いが、その論旨を敷衍すれば、どのような対立が生じているのか想像することもできる。情報は細かいが、政局解説以上でも以下でもないような日本政治の報道は読む気がしないが、こうなるとなかなか面白い。

以下、そんな視点でのメモのようなもの。

重要なのは、薄熙来が左派的大衆運動を展開し始めた理由。
表層的には、共産党お馴染みの奪権闘争だが、その背景としては、国家として、この先の展望が見えなくなったことがありそう。
米国のサマーズ的経済観を共有しているともいえるのでは。要するに、なんらかのバブル創出か政府の巨大な財政支出でしか、経済が大きく伸びない時代に突入しているとの認識。中国の場合、世界同時不況を避けるために、その手で経済成長を継続した訳である。世界にとっては、実に有り難いことであるし、中国自体も混乱を避けることができたという点で、悪くない政治的決断だったと言えよう。
しかし、問題は、、必ずどこかで是正措置が必要となる訳で、それは少なからず痛みを伴う。先送りすれば、傷が深くなるだけ。この問題をどうするかで、当然ながら利権がらみの対立が生じてくる。

ただ、対立の本質はそういうことではなく、発展途上国飛躍モデルが今後も通用するのかという点ではないだろうか。

○ いわゆる「伝統的左派」は、農村の安価な労働力を工業が吸収し、その利潤でさらに工場投資が進むという仕組みが限界に来つつあると見ている筈。インドやインドネシアの例を見てもわかるように、都市化と工業化による発展が上手く進まない風土の国もある訳で、中国に残っている未開発地域には、そちらの風土に近い可能性もある。
ともあれ、今後、貧困層の不満が急激に高まるから、早いうちに、「敵」を明確にした大衆運動を繰り広げることで、この危機を乗り切ろうということ。疾風怒濤型の粛清も避けては通れないとの主張。先進国的常識では、いかにも無理筋に映るが、独裁者愛好の人民の国だから、飯より政治というスローガンの威力は小さなものではない。まあ、毛沢東の大躍進政策のような形での、精神論で現実を隠蔽する方向に進むことになる。薄熙来型リーダーとは、その方向に進んでも統率できる自信があるということ。
クリントン前国務長官はここら辺りの動きをよく見ていた。家族や資産を海外に移し、ただただ不正蓄財に励むだけの幹部だらけの国に未来はありえないといった手の講演は、そうした動きを敏感に感じとっていたと思われる。

○ 一方、「党内リベラル勢力」は、農村の都市化の伸びしろはまだまだあるという見方。それなら、先進国的な都会化にこぎつけてしまった地域はサービス産業化で発展可能だというもの。従って、バブルで生じている弊害を除去し、国内金融体制の動揺を防止すれば、経済発展路線を続けることができると踏んだ訳。だが、それはあくまでも理屈。
金融分野の改革や、競争市場型への移行とは、共産党幹部の国営企業がらみの利権を潰すことに他ならない。一筋縄ではとても、解決するようなものではない。しかも、モタモタしている訳にもいかない。老齢化の並みがヒタヒタと押し寄せてきており、都会での労働・福祉政策の高度化が緊要な課題になるのは見えているからだ。
問題は、農村がそうした政策対象から外されてきたこと。都市化が進まないと、今の二重構造のままでは社会的分裂が生まれてどうにもならなくなってしまうだろう。そのためには都市発展のための投資は不可欠だが、その主体を国営企業から民営にするのは大事である。生産設備過剰とおぼしき産業が少ないないからである。
その上、解放軍の各軍区毎の利権が山のように積みあがっており、ここに手を入れるのは危険極まりない。従って、マドルスルー型で進めることになるが、勝算がある訳ではないと思われる。それしか手がないというにすぎまい。結局のところ、共産党独裁体制を護るために伝統的左派と同じような動きになってしまうのかも。
一番の問題は誰を「敵」にするかである。


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