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2013.10.12
 
 

「五榜の掲示」から見た中国政治…

「五榜の掲示」とは「五箇条の御誓文」ではない。当たり前か。

「五箇条の御誓文」とは、誰でもがご存知の通り、明治元年に明治天皇(満15歳)が公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針。神明で厳かに宣誓儀式が行われたそうである。
現代表記では以下の通り。
    一 広く会議を興し、万機公論に決すべし。
    一 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
    一 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、
         人心をして倦まざらしめんことを要す。
    一 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
    一 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

権力移行の実態は、薩長クーデターに近い感じがするが、封建時代感覚を一気に取り払う意気を感じさせる、格調高い文言である。

義務教育で習った覚えはないが、この前身にあたるのが「船中八策」と考えられている。内容をすぐに言える人は少ないだろうが、名前だけは遍く知られていそう。マスコミ主導の「維新」ムード昂揚で、ずいぶんと引用されたようだから。以下のようなもの。
  公議政体論のもと、
     1.大政奉還
     2.上下両院の設置による議会政治
     3.有能な人材の政治への登用
     4.不平等条約の改定
     5.憲法制定
     6.海軍力の増強
     7.御親兵の設置
     8.金銀の交換レートの変更


小生は、この時代に出されたものとして、もう一つ覚えておくべきものがあると考える。それが「五榜の掲示」である。「五箇条の御誓文」発布翌日に掲げられたと言われている割りには、関心を呼ばない。だから忘れるなという訳ではなく、発展途上国の体質を理解する上でこれほどわかり易いものはないからだ。
尚、名称は人によって違うかも。小生は、一般大衆向けの御触れ書きだから、「御高札」と覚えていた。
まあ、名前はどうあれ、全国遍く知らしめるためのもの。御誓文は、とりあえずは社会上層だけが知れば十分だろうが、それとは性格が全く違う。以下のような文言。
     第一札: 五倫道徳遵守
     第二札: 徒党・強訴・逃散禁止
     第三札: 切支丹・邪宗門厳禁
     第四札: 万国公法履行
     第五札: 郷村脱走禁止

コレ、なんと、明治6年の高札制度廃止まで効力を発揮していたそうだ。同時に、第一札から第四札は除却となっている。まあ、問題を抱える方針だった訳である。
しかしながら、おそらく、この5つを眺めると、維新のエリート達の感覚がよくわかるという人が多いのでは。でも、もしも、そう感じたなら、それは、当時のエリートと全く同じで、信仰と政治のかかわりや、社会風土と政治思想との関連を、雑にしか見ていない可能性が高いと思う。そこらは注意が必要なのではなかろうか。
と言うか、理解を深めれば、なにがなんでも「維新」を進めようとすると、こうなるということでもあり、その典型は中国とも言える。

と言うことで、これを中国に当て嵌めてみよう。

まずは、「第一札: 五倫道徳遵守」。
共産党に儒教では、余りにそぐわないと感じる人の方が多いかも。実際、文化大革命では、儒教系の建造物はことごとく叩き壊されたと言われている訳だし。それに、腐敗した共産党官僚だらけの現在の状況にいまさら儒教道徳でもなかろうとなるかも。
だが、その発想は間違いでは。・・・おそらく、共産党は儒教をかつぎあげるしかなかろう。
中国とは、紀元前から、官僚制の中央集権の巨大中華帝国をつくりあげることに熱心な国なのだから。その思想基盤が、儒教である。それを否定することなど、あろう筈がないというか、宿命のようなもの。
そもそも、この国の歴史は、軍事力による王朝転覆史に他ならない。漢民族国家である必要もなく、一貫性あるのは「中華思想」に基づく、天命の「帝王」が支配する大帝国いうことだけ。官僚支配の法治国なのだが、独裁制度の故に法治でもないというなかなか微妙な体制。この観点では、共産党政権も歴史上はOne of themでしかない。
この一貫した政治文化と親和性が高いのは儒教のみ。それだけのこと。

そんな国だから、大半の人々の日々の関心は、帝国の法の抜け穴をいかに活用して上手に生きることに集中する。その打算主義と、中央集権国家の意志の摺り合わせが大変なのである。ここら当たりは日本とはえらく違っていそう。
まあ、ともあれ、名目的であろうがなかろうが、儒教的「道徳遵守」を重視することは、ほぼ常識と考えてよいだろう。つまり、打算が通用すると、見かけ上はこの「道徳遵守」は成り立つことも理解しておく必要があろう。
例えば、中国経済発展を加速させたのは、外資企業。それが可能だった理由の一つに、治安のよさがあげられよう。一般的には、発展途上国では極めて難しいが、中国ではいとも簡単に実現されたのである。これこそが、中国流の「道徳遵守」。ご想像がつくと思うが、外人に手出した輩がいると、徹底捜索のあげく、逮捕即刻死刑になりかねないのである。そうなると、状況は一変する訳である。実に単純な話。

第二札: 徒党・強訴・逃散禁止」は、権威主義的な政権が治める国家ならどこでも当たり前の方針にすぎまい。国内治安の乱れを危惧した明治新政府としては当然の措置でもあろう。
ただ、中国の場合は、ソビエトや東欧での独裁維持の教訓を十二分に生かしたやり方がとられることになるから、巧妙そのものである。なんといっても、最優先は思想的核を形成しそうな人物を早目に社会から抹殺すること。だが、それは限定的なものに留めることになる。国際的な批判を考えてのことではない。シンパ層を十分泳がせておき、組織化が始まる直前に一網打尽にする。根絶やし作戦である。
そして、自分達の組織内に生まれたシンパ層は、名目はなんでもよいから、サラミのように、少しずつ切り捨てる手。これが一番高度なスキルを要する。と言うのは、この内情を知られたりすると熾烈な組織内対立が生まれてしまうからだ。

第三札: 切支丹・邪宗門厳禁」は、じっくり考えておくべき項目。
明治維新の頃といえば、西洋では「宗教の自由」は当たり前の概念だったのでは。なにせ、プロテスタントの米国が開国を迫る位なのだから。にもかかわらず、維新のエリートはそれに気付かなかったようだ。
外交の場面にしろ、文化交流にしろ、宗教問題を話題にするなという「鉄則」を全く逆に理解していた可能性もあろう。明治新政府は、「国家神道」化という宗教国家路線を驀進している風に映っていたと思われるが、自身では、政教分離の政治体制と称していた可能性が高そう。こうした主張は納得性ゼロどころか、黒を白と言う輩とレッテルを貼られる恐れがあるのだが、その辺りが理解できなかったのではなかろうか。海外からの侵略に備えて、対抗措置として急遽一神教的な「神道」を国教として位置付けたなどという理屈を成る程と思うのはどうかしている。これは国家が信仰を強制しているということ。信仰は個人の問題という大原則を全くわかっていないことになる。
中国の場合は、これとは相当に違う。すでに述べたように、一番恐れるのは、反儒教の動き。中央集権の官僚制国家を否定する動きに繋がるからだ。従って、儒教と根本的に相反する出家型仏教と道教的集団の広がりは絶対阻止である。そんな雰囲気が大衆に広まったらえらいことだからだ。当然のことながら、親和性がある宗教であれば容認し、中央集権組織に組み込むことを目指すことになろう。

第四札: 万国公法履行」はあくまでも打算。TPPが始まれば、中国としても、それに合わせて上海で特区を始めるようなもの。

第五札: 郷村脱走禁止」は、農村と都市の障壁そのもの。

中国は未だにこの「御高札」時代なのである。発展途上国のままでいたいようだから、そもありなん。

まあ、こんなことを書いてみたくなったのは、FTの記事を読んだから。党中央の学校では、共産党が権力を失ったらどうすべきか徹底討論が行われているという。いくつもそうなりそうなシナリオを描いてみて、反革命をどのように叩くべきか徹底的な議論がかわされているということでは。
もちろん、FTだから、経済発展とともに民主化は避けられまいという流れで書かれた記事なのだが。
小生は、そのようなドグマが成り立つとは思っていない。経済発展にともなって、権力維持のための道具が高度化するだけで、自由度は低下していくと見る。もちろん、大半の生活者は自由度が高まる方向にあると誤解する訳だが。

(記事) How long can the Communist party survive in China? By Jamil Anderlini September 20, 2013 7:04 am FT
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