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2014.4.6

「ふわっとした民意」話…

先日、「ふわっとした民意」という言葉を初めて知った。「風」頼みの政党があてにする大衆の意識を指すらしい。
検索すると、驚いたことに日本維新の会の石原慎太郎代表がそれを批判している話が登場。お仲間という訳でもなさそうだ。見ると、3月26日の日本外国特派員協会での講演録。
読んでみると、ポピュリズムは止めよという主旨。シナリオなくして、センチメントで動くナと。
大笑いさせて頂いた。

その講演で石原代表は中国に関してこんなことも述べている。
   大都会にひしめいている、
   中産階級になろうとしてなりそこなった学生たちとか、
   地方から出てきた出稼ぎ労働者たちのフラストレーションだとか。
   そのうち大きなエネルギーとなって爆発すると思うし、
   それを期待している。
   今の中国の共産党独裁の形は続かないと思うし、
   続けてはならないと思う。

アハハ。
なんだ、「ふわっとした民意」に依拠する政治家そのものの見方そのもの。

都会の住民にフラストレーションが溜まっていくのは確実。しかし、その後のシナリオは自分の夢でしかない。
同じ穴の貉。

と言うことで、一寸、書き留めておくかという気になった。

ご存知のように、その手が、エジプトで使われた訳である。・・・
アルジャジーラの報道に煽られ、海外からの様々な支援のもと、巨大なエネルギーが首都で爆発したのはご存知のとおり。
それでどうなったか。
民主化どころの話ではなかろう。
政治的には元の木阿弥。そして、経済的には観光業が落ち込んでしまったから、都市住民の生活は苦しくなる一方。経済の見通しは暗いまま。軍人と公務員が闊歩する社会構造がさらに強化されたに過ぎない。

組織なき大衆運動がどうなるかは、昔から知られている話。だからこその、共産党「前衛」論。その一方、大衆を動かそうと諜報機関が跋扈する訳だ。ただ、そんなことを言い出すと、必ず「陰謀論」が幅を利かし始めて、議論が成り立たなくなる。それでは最悪だから、そういった推測話は避けるのが成熟した社会のルール。

呆れるのは、シリアでも同じことを始めるセンス。その結果は、予想通り悲惨そのもので、エジプトの比ではない。誰が見たところで、悪辣な現政権が打倒されれば、どうなるかなど、わかりきったこと。もともと、反政府勢力は徹底的に弾圧されてきたから、組織の態をなしていない。穏健派にしたところで、統合防止の分裂の仕掛けが出来上がっている以上、新政府を作ったところで協調的運営は難しい。せいぜいのところ、看板をかけるのが精いっぱいだろう。
そうなれば、いくらでも兵士を集めることができる、暴虐の限りを尽くす無国籍的宗教原理主義者が権力を握ることになるのはわかりきったこと。そんな政権作りに拍手を送るつもりかネ。
まあ、大量殺戮主義者ポルポトの政権を支援していた国も少なくないのだから、それもアリと言えばその通りだが。

そんなことを考えれば、中国の変化を夢想するなど、恐ろしい話。
途方も無い巨大人口を抱えている国であり、漢民族と称していても、会話上は方言と言うよりはほとんど異言語状況。つまり、文化的にはバラバラの社会。にもかかわらず、国がまとまっているのは、大国主義が染みついているから。裏を返せば軍事独裁体制ありきの風土ということ。
従って、これを壊せばどうなるネ。
これまた収拾がつかなくなること必定。
それだけは止めて欲しいもの。

ついでだから、講演録からもう一つ。
   私はチベットのリーダーのダライ=ラマと親しいが、
   彼からいろいろ事情を聞いてみると、
   日本は本当にチベットのような国になりたくないと思う。
   ・・・
   いまチベットに同情しているアメリカ人はほとんどいない。
   ・・・
   ダライ=ラマの話を聞いていると、
   中国の拡張主義に巻き込まれて、
   その属国になりたくないと思う。

この同情論だが、「ふわっとした民意」とたいした違いは無い。全く文化の違う民族に支配されたくないのは、当たり前の話で、それに中国嫌悪感をかぶせただけの感覚でしかないからだ。
間違えてはこまるが、チベットはもともと中国とは全く別な国であり、独立して当然。しかし、今の状態では、中国帰属止む無しとしか言いようがなかろう。
人民解放軍侵攻前の状況に戻してどうするネということでもある。チベット仏教とは宗政一致型。各宗派の頂点に立つ僧は絶対的権力を握ることになる。そして、その権力を支えている社会基盤とは農奴制。そんな社会体制を賛美したいなら別だが、それ以外の仕組みを作れる当事者はいないのである。
中華帝国支配は許せぬという気分はわかるがネ。

「軍事的覇権こそ命」の社会こそが、大国の大前提。
そして、一旦、自らが大国と意識すれば、さらなる大国化へと歩を進めるもの。そのためなら、なんでもござれ。
もちろんのことだが、戦争回避とは小国の考えることで、大国からすれば、戦争できない軍隊などゴミと同じ。
平和共存とは大国にとっては言葉の綾であり、小国が属国化する状態の表現でしかない。

しかし、日本の「ふわっとした民意」は、今のところ、日本は大国になりたくないという状況にある。それは、第二次世界大戦の戦勝国の意向と表裏一体でもある。日独を絶対に大国にはさせないということ。
それを突き破りたいが故の、現在の「ふわっとした民意」嫌いと見る。民意が変われば態度も一変するだけの話だろう。

そうそう、今のままなら、そのうち、そうなる可能性も高いのではなかろうか。
日本の平和共存とは、米国の傘の下で生きるという選択を意味していたが、それはもうご免というのがオバマ政権の長期的な方針のようだから。東アジアで徐々に力を抜くつもりであり、日本は大陸の2つの大国と直接対峙することになる訳だ。今後どうするかが問われているのは明らか。今は過渡期である。
つまり、石原流とは、日本の大国化路線。
ところが、これを許すなと語る人達は、「戦前に戻すな」と叫ぶだけ。選択肢の提案ができないのである。これではお話にならない。
ところが、そのような政治屋をもてはやす風土が定着しているのだから実にこまったもの。

(講演ビデオ) Shintaro Ishihara: "The latest from a man who has spent a long career calling it how he sees it" 1:32:01 http://www.youtube.com/watch?v=Wp4vgFHyk5Y
(部分的引用記事) http://blogos.com/article/83156/


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