表紙 目次 | 2014.7.30 バルカン・ウクライナの動乱の見方…ウクライナは混迷一途。民間航空機撃墜は、どういう流れで発生したのか未だにはっきりせず、憶測報道だらけ。換言すれば、それを見越した襲撃だったことがよくわかる。この手の対空ミサイルは一発がえらく高価な上に、簡単に操作して発射できる代物ではないから、間違って使用することなどおよそあり得ないからでもある。 まあ、まさに、欧州の頭痛の種であるスラブ問題と言えよう。これをどう解決するかは「欧州」の定義そのものにも関係してくるし、「民族」の扱い方や、それと「国家主権」との折り合いのつけかたにも係ってくるから、単純な話ではない。 従って、日本の政局解説や陰謀論的面白話の類にのらないようにしたいもの。 そんなことを考えると、重要なのは、ソ連の実像を思い出すことだろう。単なる独裁政権化でしかない社会主義思想を振りまきながら、米国に対立的な武装民族勢力を支援することを「インターナショナル」運動と見なし、西欧型法治世界の破壊を狙った国だったことを忘れるべきではなかろう。もちろん、そのゴールは、欧米支配を覆し、ロシア系スラブ民族による一大帝国を樹立すること。従って、共産党中央の指示を素直に受け入れない民族に対しては徹底抑圧が図られた訳である。 しかし、この辺りの感覚はなかなかつかみづらいものがある。・・・昔から入手難の、スターリンの言語論の本を読むと、その本質がわかるのだが。と言うのは、その内容は、民族の言語とはアイデンティティの根幹であるとの極めてまともなものだからだ。つまり、それに共感した人々を表に出させ、その後に根こそぎ粛清するか、サラミ型に狙い撃ちで弱体化させるという老獪な方策をとったのである。 要するに、ロシアスラブ独裁を実現するにはどうするか徹底的に考えた結果の、徹底的な他民族抑圧ということ。冷徹であり、有効とあらば手段を問わないのが特徴。 その伝統をそのまま受け継いでいるのが、人口と面積で欧州の1位と2位の、ロシアとウクライナ。従って、この2国をどう扱うかは簡単な話ではないということ。 ウクライナの状況を眺めていて、思わず、同じスラブ系独裁国家ユーゴスラビア連邦の解体後に発生した血腥い戦乱を思い出してしまった。 ウクライナのように、ロシアと直接接していないので、汎スラブ主義の名目で、バラバラの民族を武力統一して、バルカン大国化が可能になった訳である。ここでの民主化とは、先ずは大国主義を壊すことになり、大国を維持する武力と直接対峙することになるから悲惨。 ウクライナでおきていることも、ロシア大国主義からの離脱の動きでしかなく、同じような大動乱は避けがたい。ただ、離脱できたところで、ウクライナ大国主義運動でもあるから、民主化の方向に進む訳ではなかろう。 ユーゴスラビア解体は、モンテネグロの分離独立宣言から始まり、クロアチア、スロベニア、マケドニアの連邦離脱につながったようである。そして、ボスニア・ヘルツェゴビナも独立すれば、完全なバラバラ状態。それでも、一度は戦乱が収まったのだが、セルビア内でのコソボ独立運動が引き金となり、熾烈な武力闘争に陥ってしまった。 ここは民族と言語が入り乱れており、歴史的経緯上どうにもおさまりがつかない地域。 民族浄化というウルトラ国粋主義を打ち出した、いかにも「悪者」政治家が紛争の元凶というトーンでの報道が多かったが、それをそのまま受け取らない方がよかろう。仕掛けられれば、暴走する以外に手がなかったのが実情と見てよかろう。降れば、土砂降りなのである。 小生はクロアチアとスロベニアが旧ユーゴスラビア政権中枢がどう動くか百も承知で動いたことが発端と見る。西欧流の自由のために立ち上がれ型で火を放ったのである。一種の聖戦と言えよう。欧米には、それも、悪くないと考える人は少なくない訳だ。(アラブの春しかり。) ということで、小生は、ウクライナでの民主化など、およそありえない話と見る。 オマケとして、スラブ系民族の国家が地図上でどんな位置を占めているか、概念的にまとめてみた。多少理解しやすくなるかも。さらに、これに言語と宗教をのせて見るとその歴史の複雑性がわかる。 ┼← アドリア海沿岸 ・ ・ ・ ・ ・ 黒海沿岸 → ●イタリア● ┼│┼└─────┐ ┼│┼┼┼┼┼┼●オーストリア● ┼│┼┼┼┼┼┼┼│ スロベニア ┼│┼│┼┼┼┼┼│┼┼┌────ウクライナ ┼│┼└─────┤┼┼│┼┼┼┼│ ┼│┼┼┼┼┼┼●ハンガリー●┼┼モルドバ ┼│┼┼┼┼┼┼┼│┼┼└─┐┼┼│ ┼│┼┼┼┼┼┼┼│┼┼┼┼ルーマニア ┼│┼┼┼┼┼┼┼│┼┼┼┼│ クロアチア ┼│┼└─────┤┼┼┌─┤ ┼│┼┼┼┼┼┼┼セルビア ┼│┼┌─────┤┼┼┼┼│ ┼│┼ボスニア・ ヘルツェゴビナ ┼│┼┼┼┼┼┼┼│┼┼┼┼│ ┼│┼┌─────┤┼┼┼┼│ モンテネグロ ┼│┼┼│┼┌──┤┼┼┼┼│ ┼│┼┼コソボ ┼│┼┼│┼┼┼┼│┼┼┼┼ブルガリア アルバニア ┼│┼└─────┤┼┼┌─┤ ┼│┼┼┼┼┼┼┼マケドニア ┼│┼┌─────┘┼┼┼┼│ ●ギリシャ● ┼┼┼└──────────┤ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●トルコ●(欧州) ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼│<海峡> ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●トルコ●(アジア) 少し広げて言語で眺めるとこうなる。 <東欧北側〜2大国に広がるスラブ圏> 【東バルト(スラブ系)語】 リトアニア語 ラトビア語 【西スラブ語】 ポーランド語 チェコ語.スロバキア語 シレジア語(両者境界圏) 【東[ルーシー発祥]スラブ語】 ベラルーシ語 ロシア語 ウクライナ語 <非スラブ圏> 【北イタリーロマンス語】 【西ゲルマン語-バイエルン・オーストリア語】 【非印欧語-ハンガリー(マジャル)語】 【東ロマンス語-ルーマニア語・モルドバ語】 【ロマ語】 <北バルカンスラブ圏> 【南スラブ語】 [東方]マケドニア語 ブルガリア語 [西方]スロベニア語 パンノニア・ルシン語/クロアチア語/ボスニア語/セルビア語/モンテネグロ語 <南バルカン非スラブ圏> 【アルバニア語】 【ギリシア語[ヘレニック]】 <非印欧語圏> 【非印欧語-チュルク(トルコ)語】 上記を見ればすぐにピンとくるだろう。 北の「大」スラブ圏がソ連で、非スラブ諸国を挟んだ「小」スラブ圏がほぼユーゴスラビアだったのである。直接国境を接していないために、「大」による、「小」の吸収ははできかねただけ。 その、両者の狭間に位置していたハンガリーは、スラブでないのに、西欧から見捨てられてしまい、ソ連の属国化を余儀なくされた訳である。(印欧族のゲルマン系、ラテン系、スラブ系の接点ハンガリーに住むマジャール人はアジア系民族。) 尚、スターリン流のスラブ大国主義政策の根幹は、異なる言語の島をあちらこちらに作ること。そして、民族対立を発生させ、反露民族主義者を浮かび上がらせて、抹殺していく。逆に、民族文化の謳歌を賞賛しておいて、突然、その思想的核を除去する荒業も得意だった。もちろん、そんな流れがあることを警告するような言動は早くから消し去っておく訳である。そんな工作をなかば公然に担ってきたのがKGBという組織である。 おわかりになろうと思うが、ウクライナに限らず、そんな島は今でもあちらこちらに存在している訳である。 その気になれば、ここに民族対立の火を放つのはいとも簡単。 政治への発言の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com | |