表紙 目次 | 2014.12.30 西アフリカ戦闘員に感謝西アフリカ3カ国でのエボラ対策が進んでいるようだ。予断許さず状況だとは思うが。非効率で当てにならない組織に、カネとモノを注ぎこまず、海外から直接優秀なヒト(軍隊と専門家)と、そこに不可欠なモノを送りこんだのは大正解。 世界の安全は、現地で戦う人達によってかろうじて守られていると言ってよいのでは。 これ無かりせば、西アフリカで都市消滅が発生し、先進国でもパラパラと患者発生が続く可能性もあったのでは。 しかし、現段階では、エボラ鎮圧に成功したと見なす訳にはいくまい。 シエラレオネでは、すでに普段通りの生活ができない状況に陥っているようだから。発展途上国でこの状態だと、防疫体制は穴だらけになりかねまい。患者発生情報の補足ができなくなればアウトだ。そちらに向かわないことを願うしかない。 そこらの状況を政治的指導者に理解してもらわないと、世界はえらいことになる。 緊要なのは、「ワクチン開発を急げ」ではなく、例えば、「軍隊と専門家の投入を続行せよ」ということでもある。 このウイルスは確かに恐ろしいといえば、その通りだが、発症患者の体液や汚物に触れない限り伝染しない。先進国的環境で考えれば、極めて低伝染性の疾病。本来なら、関心を集めるような疾病ではない。 つまり、普通に考えれば、小人数の感染者が発生した段階で、収まっていく手のもの。 ところが、西アフリカは逆。 リベリアでその現象が見てとれた段階で、今迄の米国ならトップのリーダーシップで動いた筈。流行を抑えるには、直接的な力が必要なのはわかりきったことだからだ。 おそらく、市民運動型政治を志向しているから、エボラウイルスの知識を広げれば、流行は収まると判断してしまうのである。 しかし、「呪いをかける」魔術師が存在するというのに、科学のお話をするだけで、社会が変わるものか、考えればわかりそうなもの。 感染発生建物隔離や、患者との身体的接触回避を指示すればすぐに対応できる訳もなかろう。愛する家族を「危険物」と見なして見捨て、住んでいる家を即時放棄せよとの外人のご指導に諾々として従う筈がなかろう。 都会の狭い家に密集して住んでいれば一家全滅、親類にも蔓延という事態も十分ありうる。それが現実では。 カネとモノだけ流す医療援助では奏功しない状況なのは明らか。 患者にとってみれば、医療機関に入れば、二度と家には戻れないことを意味しており、それなりの決意が必要となる。発症しても入院しない患者がいておかしくない。 従って、手慣れた専門家を擁し、強権発揮可能な組織と連携できる医療組織が対応しない限り、どうにもなるまい。 しかも下手なやり方をすれば、医療機関が看護家族や見舞客へのウイルス伝染の場と化す。そうなると、状況は益々悪化しかなねない。 そして、一番まずいのは、患者死体埋火葬のオフレ。これでなんとかなるという先進国的発想は危険だ。死体処理の適正化にヒト、モノ、カネを投入しただけでは、ほとんど効力は無いと思われるからだ。 「死者は洗浄して埋葬すべし」という宗教観を否定する動きが受け入れられる可能性は極めて低いと見るべきだろう。日本で言えば、それこそ、「墓を建てるナ」とのお触れが出たようなもの。 死者の来世のための儀礼を行わない葬儀などありえまい。極端な話、葬儀儀礼を拒否するような家族はコミュニティから外されておかしくない。殺人嫌疑がかけられることさえ有りうる。そして、葬儀で洗浄儀式を担う「喪主」の役割を果たすからこそ、相続人として認められる。日本人なら、そんなことはすぐに想像がつくと思うが、先進国には、それが通用しない人も少なくないのかも。 ともあれ、そんな西アフリカの社会通念を一気にぶち壊すことが簡単にできるものか考えればわかる筈だ。 もちろん、そんなことを進めれば、反感をかう。だが、それを避けて、民主主義的に、先ずは科学的理解からというのではこまる。時間がかかりすぎるからだ。 理解が広がってから、行動を変えるように説得開始という手の理想論は捨てて欲しい。 最悪の状況を招きかねないからだ。 おそらく、現地では、マドルスルー的な戦いを強いられていると思う。民俗学者の支援もなさそうだし。 要するに、一種の宗教戦争が発生しているということ。戦闘員の方々の苦労は並大抵のものではなかろう。 感謝。 政治への発言の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com | |