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YOKOSO! JAPAN 観光業を考える 2005年10月27日 |
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東京メトロ日比谷線探訪…身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 [10月27日]たまには、気晴らしに、武蔵国の探訪記でも書いてみようかという気になった。とはいえ、郷土史の好事家でもないから、書けることはたいしたものではないが。 とりあえず、東京メトロ日比谷線(グレーラインの地下鉄)の各駅停車の旅を考えてみた。 作者: H.Kuma(0) この路線は、東急と東武と相互乗り入れしている。直通運転の南端は菊名、北端は東武動物公園だ。その先の列車に乗り換えると南は横浜中華街や、北は今市辺りまで楽に行くことができる。 そのため、聞き慣れない駅名もあるが、日比谷線内に限れば御馴染みのものばかりである。 近頃は、地下鉄の駅名に番号がついたので、さらにわかり易くなった。(1) しかし、名前を知っていても、それぞれの駅がどんな地域にあるのかあまり気にかけたこともなかった。 そこで、各駅の特徴を描いてみることにした。 ●H1● 中目黒 この駅の特徴は明白。独り者にとって、交通至便な場所なのである。 次の駅が渋谷(急行)、代官山(普通)、恵比寿である。頻繁に電車は来るし、数分で着く。気が向けば、自由が丘(特急5分内)や横浜(25分内)まで足を伸ばしてもよい。 そして、六本木(10分内)や銀座(20分内)から乗り換え無しで帰れる。 駅近辺には、夜遅くまで開いている酒・食事処も 揃っている。 というと、遊び人の住処と間違われそうだが、そんなイメージはあまりない。将来を目指して頑張る若者が好む土地柄といった感じがする。 目黒川が流れているが、散歩する若者は稀なようだ。気晴らしなら、旧山手通り沿いの西郷山公園があるからだ。高台なので眺めは素敵。芝生に横にでもなれば、元気もでてくるだろう。と頭で考えても、お休みの日は、つい寝すごしてしまい、結局行きそびれる人がほとんどだろうが。 ●H2● 恵比寿 恵比寿のビール工場跡地にガーデンプレースができ、JRの駅ビルも建ったからイメージは大きく変わったが、地元の人達が活躍している地域でもある。 例えば、スリランカ料理店と聞けば、起業家が開店したと思うかもしれないが、これが、地場での活動の一環だったりする。(2) ネパール料理店「クンビラ」(3)も、もとは恵比寿と広尾の間にあった。それが、駅近辺に移ってきただけのこと。昔から料理教室や、ネパール文化に触れるイベントなどを行なうことで知られていた。 ●H3● 広尾 広尾といえば、聖心女子大学である。もっとも、駅を降りても、どこにあるのかさっぱりわからないだろうし、学生もほとんど目立たない。 ここは、どちらかといえば、住宅街の駅なのである。もっとわかり易く言えば、港区南麻布と渋谷区広尾という高額納税者が多い地区の境にある駅だ。 有栖川公園があるため、マンション住まいの駐日ビジネスマン家族が好む土地柄である。確かに、幼児と犬を遊ばせるには手頃な場所である。それに、大使館が多いから、国際色豊かで安心感もあるし。ただ、最近は、日本人以上に東京に関する知識が豊富な人もおり、自分好みの地域に住む人が増えているそうだ。それでも、インターナショナル麻布マーケットでの買い物なくしては、生きていけない米人が多いから、毎週のように車で広尾に来るようだ。 但し、この駅が嬉しくない人も多い。日赤や都立広尾の病院で診察を受けている人にとっては、早くこの駅に来なくても済むようになりたいだろう。 ●H4● 六本木 夜はエンタテインメント街だが、六本木ヒルズの出現で乗降客層に大変化が発生した。今後、北側の防衛庁や東大生産技術研究所があった辺りも変わっていくので、この先も変貌が続く。 ●H5● 神谷町 昔は、葺手町と言われており、静かな地区だった。ビジネスマンにとっては、東京タワー前の機械振興会館まで歩いていく駅との感覚かもしれない。農林年金会館前と見なしていた人もいたが。 ところが、東京のオフィス化が進み、高層ビルが建つようになり、東京12チャンネルも移って来た結果、ビジネス街になってしまった。農林年金会館という旧名を知っている人もいなくなってしまった。 この辺りのビルは、森ビルが管理していることが多い。 ●H6● 霞ヶ関 神谷町側の出口を出れば、そこは官庁街のど真ん中。 外務省、農林水産省、財務省、経済産業省の角が集まる交差点だ。(4)官公庁の出版物の売店のあるところということで知っている人もいるだろう。 時間潰しに官庁に入ることはできなくなったから、のんびりしたいなら、1ブロック歩くしかない。東が日比谷公園で、西が国会の前庭だ。 ●H7● 日比谷 平日この辺りをうろうろしているのは、劇場とホテルのコーヒーショップで時間を潰す人達ではないか、というのが近隣のオフィスビルで働く人達の見解である。 ●H8● 銀座 銀座はお金の落ちるところだと言われる。 昼間は、画廊や高級店のお金儲けの場で、夜ともなるとバー・クラブの世界に変わる。昔ほどではないというが、銀座好みの層は厚いらしい。 ちなみに、デパート無しにもかかわらず高級店が集まる青山とは客層が全く違うそうだ。青山のお客は特定商品へのこだわりがあり、買うものがほぼ決まってから来店するそうだが、銀座のお客は使えるお金の限度額だけ決めて来店すると言われている。どちらが儲かるかはいわずもがなである。 ●H9● 東銀座 ここは地上に出ると歌舞伎座。 それとなく上品なお召しものを好むご婦人達が、桟敷席を埋めるている華やかさは、ここだけのものではなかろうか。 古い建物だから、そろそろ立替え時期が迫っていると思われるが、大事だろう。 そもそも、こんな場所に、鬼瓦、唐破風屋根の大きな建物があるのだ。いかにも場違いだが、それがいかにも雑然とした東京の良さでもある。 この桃山文化風の車寄せデザインが頭に染み付いている人も多いから、取り壊して新築などと発表すると、反対の嵐に直面しそうである。 ●H10● 築地 築地本願寺と聖路加への駅だが、魚河岸人気で人が集まっているようだ。 市場に行くなら、早朝である。ここは本当に面白い。海外からの訪問者を場外市場に連れて行くだけで、目を丸くすること請け合いである。その後に、デパ地下のデリカでの試食を加えると、さらに効果が増す。これだけで、日本の凄さを実感する筈だ。 と言うより、東京育ちでも、魚好きには、魚河岸ツアーはエキサイティングである。 ●H11● 八丁堀 八丁掘といえば与力の旦那を思い浮かべてしまう。江戸時代は町奉行の与力・同心の組屋敷が並んでいた町だという。ちなみに、旦那のパートナーは奥様と呼ばれた。 今では、JR京葉線の千葉方面への通勤快速の接続駅として有名である。これもあってか、毎日10万人が乗り降りする。 すごい数字だが、東京メトロではこれでも26位で上位ではない。(5) この駅は、JR路線で見れば実質的に東北東京駅だと思う。京葉線のターミナルの東京駅は、本来なら西南東京駅と命名すべきだった。 ただ、八丁堀駅出口のすぐ傍に、川が流れているので、かなり離れた下町に来た感覚に陥ってしまう。 しかしながら、ここはまさしくオフィス街である。おそらく夜は寂しい。 ●H12● 茅場町 インターネット取引の時代であるし、証券取引場も電子化されており、提灯買いの世界は消えたが、茅場町の雰囲気は変わらないようだ。 ●H13● 人形町 「甘酒横丁」をウリにする、正真正銘の下町志向の商店街が頑張っている。いなせな職人イメージのお店を作り上げたいところだろう。 ●H14● 小伝馬町 降りるとすぐ傍が、牢屋敷跡。十思公園である。 公園の隣が大安楽寺。嫌われた土地のため、大倉・安田の2財閥が引き取って建立したことが、その名前からもわかる。 寺には、地蔵尊が祀られている。言うまでも無く刑場跡だ。(6) 公園には吉田松蔭(1830〜1859年)の碑がある。松蔭はこの獄に2度下っている。最初は、ペリーの黒船への乗船失敗。グローバルな視点で考えれば、安穏としている訳にはいかなかったのである。その後、松下村塾を開くことになる。(7) その結果が、安政の大獄。斬首されたのが、10月27日。 実は、冒頭に記載したのは松蔭の辞世の句。対になっているのが次の句。 親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん 享年30歳。 う〜む。 平成の松下塾が欲しいものである。 実は、なにを隠そう、これを書きたかったので、つい日比谷線の話になってしまったという訳である。 だからと言って、ここで終わるわけにもいかない。続けるとしよう。 ●H15● 秋葉原 つくばエキスプレス開通とタワーマンションの登場で随分変わった。 綺麗になったのに合わせるかのように、アダルトものの取り締まりが厳しくなったようだ。お陰で、いかがわしい看板は一挙に減ってきた。 オタクの町も、大変身である。 ●H16● 仲御徒町 東京メトロの銀座線上野広小路駅駅と、JRの御徒町は徒歩圏内にある。駅名は違っても、どこもアメ横近場の駅である。 しかし、仲御徒町だけは一寸違う。出口徒歩0分のところに、「総合ディスカウントストア」があるからだ。本館A棟、B棟、インテリア雑貨館、家具館、家具館別館、4号館、8号館、レディース館とコンプレックス化しており、ここが第二アメ横と言ってもよいかもしれない。(7) ●H17● 上野 かつては、地下鉄から京成上野駅へと抜ける地下道は異様な臭気がただよっていたものだが、今は清潔そのものである。東京メトロから地上に出て、東京文化会館や近代美術館へと抜ける道も一新された。 JR上野駅も近代的な終着駅のイメージへと大変身しつつある。 昔の上野の情景は消えていく。 ●H18● 入谷 おそれ入谷の鬼子母神。 境内と門前道路沿いの朝顔市の時は駅は大混雑。明治時代に地場の植木師が始めたお祭りだという。(9) 普段は植木屋さんはさっぱり見かけないが、一斉に集まると壮観である。 ●H19● 三ノ輪 三ノ輪といえば、東京メトロの駅というより、現役都電の駅で有名である。もちろん、商店街も現役。 ここから、次の駅の南千住方面に進むと、泪橋という交差点があるそうだ。 この地名が知られのは漫画“あしたのジョー”に登場したからである。といっても、団塊の世代が若者だったころのヒット作だから、チト古いお話だが。ドヤ街育ちで少年院を出所した少年が、泪橋のボクシングジムでチャンピオンを目指して育っていき、ついには燃え尽きるストーリーである。 そんな雰囲気は、今は昔といったところか。 三ノ輪の商店街にはそんな情感がまだ残っているかもしれない気はするが。 ●H20● 南千住 三ノ輪から日光街道を北に向かえば、芭蕉が旅立ったことで有名な千住大橋である。日比谷線は、三ノ輪からはそちらに向かわず、常磐線と並んで、千住大橋の下流で墨田川を渡ることになる。 そのため、南千住駅は、磔・獄門で有名な小塚原の辺りに設置されている。 江戸時代には、さらし首が並ぶ、荒涼とした原であったに違いない。 その面影が、駅末端の線路際に僅かに残っている。延命寺の首切り地蔵と、松蔭が葬られた、千住回向院である。(その後松蔭神社に改葬される。) ●H21● 北千住 自動車で日光街道を下ると、感覚的には、千住大橋を越えるとようやく込み合う東京を離れた感じがする。しかし、隅田川を渡ってもまだ東京都内である。 川向こうは、刑場とは無縁だから、江戸の歴史の掘り起こしに力が入るようだ。それに、様々なものが残っていそうだ。(10) もっとも、サンロード商店街が奥州街道「宿場町」として売り込んで成功を収めているだけなのかも知れないが。 ともあれ、北千住は今や一大乗り換え・乗り継ぎ拠点となり、駅ビルを含めて、巨大駅化した。鉄道版千住大橋といったところかもしれぬ。 東京メトロ日比谷線は東武伊勢崎線に繋がっていて、ホームは3階。 同じく東京メトロの千代田線はJRの常磐線各駅止まりに直通。こちらは、地下2階。遠くに行くつもりなら、1階の上野からの常磐線の方に乗り換えとなる。 これに、つい最近、つくばエクスプレスが加わった。 ということで、時代の変化を感じさせる、日比谷線探訪の巻は完。 --- 参照 --- (0) http://hkuma.com/tb/index.html (1) http://www.tokyometro.jp/network/pdf/rosen_j.pdf (2) http://homepage1.nifty.com/koshinshubo/page2.html (3) http://www.khumbila.com/event.html (4) 「駅出入り口地図」で駅出入口からの360度パノラマ風景画像を眺めることができる. http://www.tokyometro.jp/eki/kasumigaseki/ (5) http://www.tokyometro.jp/gaiyo/data/tetsudou_jyoukyou.html http://www.nihonbashi-net.jp/manabu.html (6) ちなみに、東京観光財団の頁は驚くほど貧弱 http://www.tcvb.or.jp/jp/Area_2/380.htm (7) 松蔭神社の頁 http://www.shoinjinja.org/jp/saijin/saijin.htm (8) http://www.takeya.co.jp/company/access.html (9) http://www.asagaoroad.com/asagao.html (10) http://www.ayomi.co.jp/kiji/200505/200505kiji/018.htm 「観光業を考える」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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