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観光業を考える 2006年3月30日
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捕鯨の観光資源化を眺めて…

やすみしし 我が大君の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚取り 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を清み 朝羽振る 波の音騒き 夕なぎに 楫の音聞こゆ 暁の 寝覚に聞けば 海石の 潮干の共 浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴が音響む 見る人の 語りにすれば 聞く人の< 見まく欲りする 御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも ---  田辺福麻呂

鯨魚取り 浜辺を清み うち靡き 生ふる玉藻に 朝なぎに 千重波寄せ 夕なぎに 五百重波寄す 辺つ波の いやしくしくに 月に異に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻れる 住吉の浜 ---  車持朝臣千年


 いずれも、万葉集巻六の歌である。「鯨魚取り」は海や浜に付く枕詞のようだ。この時代から、捕鯨は極く当たり前だったようだ。

 そして、飢饉を救ってくれた有難い動物でもあった。
  → 「村人を救った鯨 」 (愛媛県明浜町観光地 鯨塚)

 おそらく、鯨塚は全国津々浦々にある筈である。

 そんな歴史がある割りには、日本は、鯨の研究には余り関心がなかったようである。
今でも、海洋哺乳類ではなく、“Cetology”との用語を使うグループがある位だから、国内よりは、海外向け発信が主なのだろう。

 しかし、生態についての関心は薄くても、食文化の方は捨てたくない人が多いようだ。 2001年から鯨鯨肉販売が認められ、鯨料理店いまだ健在である。東京23区内を見ても20店舗近くある。(1)

 供給側を見ると、2005年の捕獲枠(2)は、ツチ鯨66頭、タッパナガ36頭、マゴンドウ50頭、ハナゴンドウ20頭である。8業者が5艘で操業しており、水揚港は網走、函館、鮎川(石巻)、和田(房総)、太地(紀州)の5つだ。(3)
 この程度の捕獲量では、ビジネスとしてはかなり厳しいと思われる。
 消費側を考えても、わざわざ鯨肉を食べようとの特別なニーズがあるとも思えないから、これだけの水揚げでも、全量消費は結構難しい気がする。

 結局のところ、捕鯨は観光業に組み込まれるのではなかろうか。
 昔から有名な四大捕鯨地、西海、土佐、紀州、三陸を眺めると、すでに、それぞれの地域で観光資源化が図られているようだ。

 西海では、五島列島中通島有川町に、鯨見山と鯨供養碑が残っている。そして、生活を支えてくれた鯨に感謝し、勇敢な銛打ち漁師をたたえる鯨唄が唄い継がれているそうだ。佐賀県呼子町小川島にも江戸時代のなごりの鯨見張所と鯨供養塔がある。(4)
 これらを維持し、漁村文化を守ろうということらしい。

 土佐といえば、鯨海酔侯の藩主がいた土地柄であり、よさこい節(武政英策作詞)が頭に浮かぶ。「土佐の名物 珊瑚に鯨」の一節があり、まさに本場である。(5)
   今でも、佐喜浜港/高岡漁港ではホエールウォッチングが可能なようである。そんなこともあり、吉良川地区に、古式捕鯨に関する展示資料館を中心にした道の駅施設を作って、観光振興を図ったり、土佐室戸鯨舟競漕大会が開催したりと、結構熱心なようだ。(6)

 紀州、熊野灘の太地町は古式捕鯨発祥の地である。ゴンドウクジラの追い込み漁が知られている。くじらの博物館、捕鯨船資料館、もあり、「くじらの町」と称しており、知名度は抜群である。(7)

 三陸では、岩手県山田町に鯨と海の科学館があるそうだ。三陸沖でとれたマッコウクジラの骨格が展示されているという。
 しかし、入館者がない日もあり、冬季休館中だ。続行できるか瀬戸際のようである。(8)

 これらは、実は、水産庁「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」[2006-2-17]に選定されている。この他にも鯨関係の漁村がいくつか選ばれている。(9)

 山口県長門市の仙崎・青海島の東端、通港に近い向岸寺の隠居所静月庵境内に鯨墓があるそうだ。鯨を解体した際に出てきた鯨の胎児も埋葬したという。鯨資料館もあり、海と陸の観光コースができあがっているようだ。(10)

 ここが故郷の、金子みすゞ(1903〜1930)は、そんな思いを詩に残している。
   鯨法会は春のくれ、
   海に採れるころ。・・・・
     → 「やまぐち文学回廊 」

 金子みずゞは今でも人気があり、沢山の人が訪れるそうである。

 石川県、能登町には、鯨伝説が伝わっている。鯨を捕獲して食べる習慣が続いているという。鯨が揚がると八百屋のネギが無くなると言われている位である。確実に獲れるものではないし、獲れても量が膨大だから、塩漬けといっても限度があろう。そのため、地元での大盤振る舞いになったと考えられる。現在は、定置網による混獲のようだが。(11)

 南房総和田町では毎年26頭のツチ鯨を揚げるそうだ。(和田浦鯨体処理場、長性寺、醍醐新兵衛墓所、鯨塚、他)(10)もっとも、町としては、鯨よりお花の方に注力したいところかもしれぬ。(12)

 おそらく、この他にも色々あるだろうが、ざっと見た感じでは、漁業漁村の歴史文化財をウリにするだけで、観光が成り立つのはほんの一部との印象を持った。漁村あるいは、エンタテインメントの街としての魅力がない限り、観光業としては中途半端な感じがするのである。
 鯨食文化といっても、新鮮な食材を味わう訳ではないし、そう変わった料理がでる訳でもなかろう。それなら、東京でも十分だ。マグロのように、食べなれたものでもない。
 これでは、情緒が味わえる工夫がなければ、誰も行く気がしなくなってしまうのではないだろうか。
 捕鯨を観光資源にする方策を考える前に、街としての誇りをはっきりさせることが先決のような気がするのだが。

 --- 参照 ---
(1) http://www.e-kujira.or.jp/link/kujiraryouri.html
(2) http://homepage2.nifty.com/jstwa/hokakuwaku.htm
(3) 鮎川町:戸羽捕鯨、星洋漁業、日本近海
  網走:三好捕鯨、下道吉一氏
  房総:外房捕鯨
  太地:太地漁業、磯根ー氏の
  認可は9艘だが、稼動は5艘
  http://homepage2.nifty.com/jstwa/kogatahogeisen.htm
(4) http://www4.ocn.ne.jp/~goto-sea/ajisai/omosiroi/omosiroi.htmll
  http://www.asahi-net.or.jp/~RN2H-DIMR/ohaka2/10gyogyo/18kyusyu/ogawa.html
  http://www.saga-s.co.jp/pub/hodo/inaka/kiji/060212.htm
(5) http://www.yosakoi.com/yosakoibushi_j.html
(6) http://www.inforyoma.or.jp/muroto-kankou/ibento/ibento-hoeru.html
  http://www.city.muroto.kochi.jp/hp/k0103/10301/gaiyou/
(7) http://www.town.taiji.wakayama.jp/town/whale/index.html
  http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiikisaisei/kouhyou/050328/dai3/21.pdf
(8) http://www.town.yamada.iwate.jp/kujirakan/rekisi/index.html
  http://www.iwate-np.co.jp/kanko/f2005/f0512/f200512034.htm
(9) http://www.jfa.maff.go.jp/release/18/021701.pdf
  http://www.gyokou.or.jp/100senlist.htm
(10) http://bunkazai.ysn21.jp/general/summary/genmain.asp?mid=10015&cdrom=
(11) http://www.noto-gt.jp/kuzira.html
(12) http://bb.bidders.co.jp/kujira/

 --- 万葉集 ---
[931, 1062] http://etext.lib.virginia.edu/japanese/manyoshu/AnoMany.html


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