トップ頁へ>>> YOKOSO! JAPAN

観光業を考える 2006年5月17日
「観光業を考える」の目次へ>>>
 


東海道五十三次セットを思い出した…

 「東海道五十三次完全踏破 街道てくてく旅。」(1)がNHK-TVで毎日流されている。

 安藤広重「東海道五十三次」の版画の場面にあたる場所を探しながら、旧本陣まで歩いていくという企画である。

 これを見ると、江戸の頃は、各地が観光用風景として「見せ場」を育てていたことがよくわかる。観光業は地域間の競争でもあったようだ。
 これに対比すると、今、各地が観光用に作った中途半端な施設の貧しさが気になる。担当者の観光振興に懸命な心根は伝わってくるのだが、残念ながら行ってみたい場所は稀だ。

 これは、投資が貧弱とか、運営にお金をかけていないといった問題ではないと思う。
 一体、何を誇りにしたいのか、さっぱりわからないから魅力を感じないだけの話である。昔のものや、その地方の産業の特徴を示す展示を見るのは、暇つぶしには最適だが、そこに行きたいという感情は呼び覚まされない。

 成熟した社会では、単に歴史があるだけでは、ウリにはならないのである。
 伝統がウリになるのは、将来に向かう流れのなかで、過去を輝いて見せるように「位置付け」ることができる時に限る。
 輝いていた過去を発掘し、いくらお金をかけた施設を作ったところで、「位置付け」がなければ一過性に終わる。

 なかでもつまらないのが、「本陣跡」の石碑。どう見ても東海道遊歩道用でもないし、歴史散歩コースの道標でもないものが多い。外部の者には、何のために造ったのかさっぱりわからぬ。
 こんな石碑を見るために、何の変哲もない舗装道路や、太い国道脇を歩くのは好事家しかいないのではないか。観光振興に繋がるどころか、マイナスイメージになりかねない代物が多い。
 もっとも、そうは考えない人が多いから、造るのだろうが。

 このようなモノを見ていると、未だに、日本の観光振興策は、永谷園の「東海道五十三次セット」が人気を博した時代から抜け出ていない感じがする。
  (1997年、永谷園の名画セットプレゼントは終了(2))

 「街道てくてく旅。」を見ればみるほど、何の特徴も無い地域が多いことに驚かされる。おそらく、特徴を捨て去り、ヨソ並の町にすることが、発展とされていたのだろう。
 お蔭で、食文化まで、特徴が無くなってしまったようである。

 そもそも、日本の観光は、江戸時代から、風光明媚と同時に、食を楽しむことにあった。
 これは、今も変わらない。
 食を中心とする旅行番組を流せば、外れがないそうである。飽きもせず、こんな番組を見る人が多いのである。
 これは、江戸時代から綿々と受け継がれてきたようである。

 なにせ、滑稽本の「東海道中膝栗毛」にしても、弥次さん喜多さんは、街道筋で一服ばかり。お蔭で、各地の名産品に舌鼓をうつ場面だらけである。
 よく知られるように、十返舎一九(1765〜1831)は、この本で流行作家の地位を確立した。出版社(版元「蔦屋」)のお抱え職業作家(食客)だったから、様々なジャンルの本を著しているそうだが、食に関する書物が多いそうだ。(2)
 昔から、社会が成熟すると、食の関心は高くなるのである。

 と言って、「食」の名物を復活すると観光振興に繋がるといった単純な話ではなかろう。重要なのは、その土地独特の文化を感じさせること。そして、その底流に流れる誇りがあるから、都会の人達の琴線に触れるのである。
 各地には、独特な食文化があり、これに触れる喜びを提供できるかが勝負なのだと思う。

 ウリは、あくまでも、文化である。独特の食材である必要はない。と言うより、そうで無い方が強い。
 今や、食材流通にバリアがあった江戸時代とは違い、美味しいなら東京で手に入るからだ。しかも、流通の事情から、東京の方が、良品のことも多い。

 もっとも、ソフトで誇れるものを打ち出す必要があることなど、とうの昔にわかっていても、それができないのが現実なのかもしれないが。

 --- 参照 ---
(1) http://www.nhk.or.jp/tekuteku/diary/diary_01.html
(2) http://idolep.hp.infoseek.co.jp/_nagatanien/history/history.htm
(3) 西尾市岩瀬文庫2004年度展示「江戸時代料理玉手箱」
  http://www.city.nishio.aichi.jp/kaforuda/40iwase/kikaku/9ryouritamatebako/ryouriarekore.html


 「観光業を考える」の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2006 RandDManagement.com