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観光業を考える 2006年5月25日
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京都の特徴とは…

 昔の名所絵図や有名人の来訪記を掘り起こして、歴史ネタで観光振興との方策は未だに人気があるようだ。どこへ行っても、そんな話を聞かされる。

 なかには、こうした歴史ネタを、郷土の誇りにしようと考える人もいるようだが、違和感を覚える。

 昔の名所絵図や来訪記が対象としている読者とは、大都会の住民である。首都圏を除けば、郷土側の視点でまとめられたものではなかろう。
 これらは、日常から離れて、ひと時遊ぼうとの都会の住人のニーズに応えた出版物だ。違う文化や、もの珍しいものを取り上げることに力が注がれる。当然ながら、そこには、軽薄な見方や誤解も沢山含まれている筈だ。そんなものを郷土の誇りにするのはどうかと思う。
 郷土が誇るべきは、都会の住民を惹きつけた、当時の人達の知恵の方だと思う。どうやって、魅力を高めたのか、少し調べたらよさそうに思うのだが、そんな話を聞いたためしがない。
 伝統を生かすとは、昔のように、知恵を発揮することではないのか。

 例えば、古き都、京都で、考えてみよう。

 『京都歴史年表』(1)を眺めると、外部から見た江戸時代の京都の情報が載っている。

 1781年、“二鐘亭半山の京都見聞録『見た京物語』刊行。本書の「花の都は二百年前にて今は花の田舎たり,田舎にしては花残れり」という一節は外から見た当時の京都観を表している。”
 この頃、江戸は世界一の大都会だったと思われるが、京都は雅とのイメージはあるものの、現実には寂しいところだったということだろう。
 これを、良い方にとるか、京都ガッカリと見るかは、読む人によって変わってくる。

 別な有名な話も紹介しよう。原典をあたっていない孫引きなので、正確ではないかも知れぬが、大田南畝のいろは歌。(2)
 流石、蜀山人だけあって、悪態のつき放題。

 「今ぞ知る花の都の人心、ろくなものはさらに無し、腹は茶粥に豆のかて、似ても似つかぬ裏表、ほしがるものは銭と金、へつらひ言うて世を渡り、隣近所も疎ましく、…ゐなかにまさるきたなさは、のきをならぶる町中で、おいへさんでもいとさんでも、くるりとまくって立小便、…住めば都と申せども、京には飽き果て申し候」
 けち臭く美味しくない食事に飽きてしまった上に、裏表があって薄情な土地柄に嫌気がしたようだ。おまけに不潔だという。
 良いところ無しである。

 実際のところはどの程度だったかは知るよしもないが、京都に期待していた「雅」はほとんど感じなかったようである。

 多分、当時の京都は他地域に比べ競争劣位な産業が増えており、全体的に衰退基調だったのだろう。そこで、観光都市化を図っていたと思われる。
 しかし、ところどころに観光スポットはあるものの、全体で見れば、どこにでもありそうな田舎の雰囲気ということではないか。
 とは言うものの、江戸では人気の地だった。そうでなければ、辛らつな言葉を吐く大田蜀山人がわざわざこんなものを書く筈があるまい。

 大正時代に入っても、その状況はたいして変わっていないようだ。

 シニカルな芥川龍之介の随筆(3)に様子が描かれている。

 夜、人力車で宿へ帰る途中、道に迷ってしまった。車夫は、“この辺ぢゃおへんか”と言うが、提灯を翳して見ると、そこには、“暗の中に万竿の青をつらねて、重なり合つた葉が寒さうに濡て光”っているではないか。なんと竹藪なのだ。
 龍之介は、“四条の大橋へ出る所”だから“こんな田舎ぢゃないよ”と言う。これに対して“こゝも四条の近所どすがな”との答えが返ってきたのだ。とても、信じられなかったが、横丁を曲がったら、突然、祇園団子の赤い堤灯が並ぶ歌舞練場の前に出たのである。
 “あの暗を払つてゐる竹薮と、この陽気な色町とが、向ひ合つてゐるといふ事は、どう考へても、嘘のやうな気がした。”というのである。

 「都名所図会」を眺めても、京都には、“田舎シーン”が実に豊富である。
 そこで、今も残る京都周囲の自然を活用した、グリーン・ツーリズムが有望との見方もある。(4)

 そんな考え方も成り立ちそうに思うが、リアリズムに徹すると、逆ではないかと思う。

 産寧坂の雑踏は、江戸の昔からだと思うが、真っ暗な竹薮があった寺院辺りをライトアップが企画される時代だ。
 哲学の道など、観光客が行きかい、思索にふける散策どころではあるまい。
 奥の院の山から京都一望ができる狸山不動尊(5)辺りでさえ変貌しているのだ。

 この状況をどうとらえるかは、好き好きである。
 古都の歴史にどっぷり浸りたい人からすれば、その楽しみとは無縁な街が広がっているから、不快な印象かも知れない。
 どう見ても、全体としては、雑然としており、そのなかにポツポツと歴史を語れるスポットがあったり、昔の街並みが紛れ込んでいる街である。お世辞にも、美しい街とは言い難い。
 はっきり言えば、雑然としたつまらぬ町にすぎない。

 だが、そうした不快感は、外部の浅薄で身勝手な見方かも知れぬ。

 京都の魅力とは、単なる歴史スポットではないような気がするからだ。ここの歴史スポットとは、遺跡ではなく、現実の生活そのものだからである。

 こんなところに着目すると、京都の魅力とは、実は、日本的な「都会」文化と言えそうだ。
 要するに、訳のわからぬ雑炊的混交こそが魅力なのである。

 従って、その手の文化に慣れ親しんでいる首都圏の住人には、なんの違和感もない筈だ。

 ・・・と考えると、日本の観光における、もう一つの重要な特徴が見えてくる。
 これは、江戸や大正期の観光にはなかったかもしれぬが。

 法則と言ってもよい程で、日本では、流行る観光地は必ず雑然化するのである。
 この流れに抗して、統一性を守ろうとする地域もあるが、ほんの一部だ。

 この統一性欠如を悪く言う人が多いが、性分であり、致し方ない。

 そもそも、観光を欧米流で考えてしまうからおかしくなる。欧米は社会階層毎のライフスタイルに合わせた観光スタイルがある。ところが、日本にはライフスタイル自体がとうの昔に霧散している。従って、観光地側は、統一的なスタイルはとりずらいのだ。

 例えば、静かな高級温泉町とのコンセプトは、日本ではかなり難しい。そんな町を支える“閉じた”階層などない。お金持ちは、嬉しそうに、静かで素敵な町があると皆に語る。すぐにその情報は駆け巡り、どんなところか見に大勢の人が押しかけてくる。当然ながら、様々な客層だから、そのニーズに応える店が雨後の筍のように現れる。騒々しく、雑多な店が林立する低俗な町に変貌する訳である。

 階層毎のライフスタイルを温存していると言われる京都にしても、この法則から逃れることはできない。

 ところが、京都は、いくら雑多になっても、ブランドイメージは落ちることがないのだ。

 何故か?

 ここが肝要なところだ。

 答えは簡単。

 独自の嗜好にこだわる、“土着”の人達が住んでいるからだ。
 その人達が京都を離れたいと思わない限りは安泰なのである。スポット的ではあったとしても、“独自”な文化が根付いている。それは、来訪者にも自然とわかるのである。

 どうしてそんなことが言えるか。

 京都の食文化を見れば一目瞭然である。ここには、独自の食文化を育もうと努力する土着の人が生き抜いている。

 と言うと、進取の気性を持つ京料理文化が残っていることと思われるかもしれないが、そんなものでは本質はわからない。観光業で食べる気なら、当たり前の姿勢だからだ。

 注目すべきは、独特な食文化を発信しようと考える人が生活している点である。
 驚くことに、古都と呼ばれながら、京都には、本格的な海外料理を提供する各国レストランが揃っている。(6)そんなお店に、わざわざ京都観光に出かけて行く人はいないだろうから、統一性を崩し、雑然とした街にさせてしまう元になりかねない状況なのだ。

 しかし、ここが一大特徴なのである。
 このような様々なレストラン業が成り立つ地域は滅多にないからだ。
 つまり、京都には、個人の趣味を活かせる店が成り立つ環境ができているのである。

 だから何だと見る人もいるかもしれないが、この環境があるから、京都が都会人を惹きつけることができるのである。

 歴史スポットを現在の生活に取り込むことができるのは、こんな環境があるからだ。

 要するに、「こだわり」を認めるのである。その対象は、庶民生活史だろうが、墓石だろうが、なんでもよい。
 どうしてそんなものにこだわるのか、と思われるもので一向にかまわない。生活のなかに、「こだわり」があるのは当然という訳である。
 これこそが文化の原点だろう。
 都会の住人は、自然に、そうした文化の息吹に吸い寄せられてしまう。

 そんな息吹を感じさせる観光地は少ない。
 それは、日本が生んだ「都市」型文化だからだ。

 その観点で、日本で、観光資源が一番豊富な街とは、実は東京と言えそうだ。

 --- 参照 ---
(1) http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/bunka_nenpyo.html
(2) 太田南畝「京風いろは短歌稿」
(3) 芥川龍之介: 「京都日記」より『竹』1977年版全集第2巻 岩波書店
(4) 岩松文代“グリーン・ツーリズムの資源に関する歴史的考察 ―「都名所図会」を史料として―”
  [第7回 観光に関する学術研究論文 二席入選]
  http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00354/contents/00006.htm
(5) http://www.tanukidani.com/top.html
(6) http://e-food.jp/blog/archives/2005/06/post_28.html
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