トップ頁へ>>> YOKOSO! JAPAN

観光業を考える 2006年7月12日
「観光業を考える」の目次へ>>>
 


石垣島のウリ…

 八重山というと、離島の素晴らしい海という印象が強い。

 そのため、どうしても、それ以外の訴求は埋もれがちになる。それほど環境が素晴らしいということでもあるのだが。

 とはいえ、案内書には、必ずと言ってよいほど、歴史名所が記載されている。

 その典型が、石垣島の離島桟橋から徒歩約10分の住宅地域のなかにある、“沖縄で唯一残る琉球王朝時代の士族屋敷”[建物:国重要文化財, 庭園:国名勝]、「宮良殿内(みやらどぅんち)」。(1)
 1819年建造の赤瓦葺き平屋建物と、琉球様式庭園がお勧めという訳である。

 これだけの説明だと、大勢が大挙して押し寄せる名所と勘違いしそうだが、全く逆である。
 入場料は200円と安いにもかかわらず、時間が余ったら一寸寄ってみるかという位置付けのようだ。

 それも無理はない。地元で聞いても、別になにもない、と説明されたりする位だから。

 実際訪れて見ると、家にはあがれないし、撮影禁止。重要文化財に指定されているわりには、どう見ても、手抜き安普請修理の塀。役所の名前を記載した美装解説板をつけないため、潤沢な予算がつかないのかも知れぬが。
 八重山観光のウリ、屋根に掲げるシーサーも、最古品どころか、ここでは、もともと飾らないしきたりのようである。しかも、赤瓦屋根の家はあちこちで見かけ、別に珍しいものでもない。この家は、単に古いだけのことか、ということになる。

 そんなことから、せっかく炎天下を、場所を探しながら歩いてきて、ガッカリする人も多いようだ。

 一方、こんなところに、人集めのための観光地化に抗する意気を感じる人もいる。そんな人は、この“名所”を応援したくなるようだ。
 特に、旅慣れした若者にとっては、そんな風情に感激するらしい。200円奮発すると、つい、拝観券を販売している受付の“おじぃ”と話し込んでしまうからだ。そして、八重山と日本の歴史を考えさせられることになる。旅のよき思い出となる訳だ。

 まあ、人それぞれである。

 こんな感想が生まれるのは、「宮良殿内」の実情が余り知らされていないからである。

 観光名所と言っても、ここは、宮良家の私的な住居なのである。“受付”と勝手に呼んでいるのは、ご当主その人である。他人にづかづかと家に上がり込まれたのではたまったものではない。室内進入禁止や撮影禁止は当然だろう。
 “古い士族の家”との表現も誤解を招く。
 士族と言っても、宮良家は、八重山の頭職の家柄である。頭職とは、役人としては最高権力者の地位。それだけの地位の人が培ってきた文化を感じることができる場が、この「宮良殿内」なのである。戦争で全てを失った地で、貴重な歴史資料そのものである。(2)

 為政者の住宅が、市街地のただなかに、そのままの形で残り、そこでの生活も続いている。これだけでも、素晴らしい。もっとも、住んでおられる方々は、おそらく不便この上ないだろうが。

 宮良家に伝わる、冠婚葬祭の礼式や献立記録「膳符日記」の研究(3)も進んでいるようで、ご当主長男は、当時の食を再現したお店を開いておられる。(4)もともと大衆食ではないとはいえ、○○チャンプルといった炒め物や麺類料理とは異にしており、その薄味は懐石系に近い。本土の懐石は、海外からの様々な文化が融合している可能性も高いから、石垣の方が、古い日本の雅を受け継いでいる可能性もある。
 なにせ、「日本書記」によると、714年に、太朝臣遠建治が南島奄美、信覚[推定:石垣島]、球美の島人52人を率いて太宰府に入貢したそうである。(5)

 それはともかく、この宮良家末裔のお店の名前も面白い。と言っても、準絶滅危惧種、リュウキュウアカショウビン(かわせみ科)(6)の方言名「こっかーら」を使っただけの話だが。
 何が不可思議かと言うと、オーストラリアのマスコット鳥「Kookaburra」(7)とほとんど同じ発音なのである。鳴き声から来たものとはいえ、英国文化との交流を示唆している。

 離島と言うと、隔絶された文化を想像しがちだが、そんなことはない。交流は結構活発なのである。

 但し、無闇に取り入れることはない。その結果、一旦取り入れた外来文化は、その純粋な部分が何時までも保たれる傾向があると言えそうだ。本土は文化の嵐に常に晒され続けており、混交文化になり勝ちだが、離島は自らの価値観で選りすぐったものだけを取り入れ、それを守ってきたのである。

 それに、本土文化の発祥元はここかも知れないのである。

 巷では、もともと石垣島辺りこそが、浦島太郎が流れ着いた場所で、竜宮とは琉球スタイルの宮殿を指しており、八重山に伝わるニライカナイのお話と繋がっているとの話が囁かれている。
 全国の地名につく「浦」とは、実は浦島のことで、南の島から暖流に乗って移住してきた海人の住処を示すと言う人さえいる。

 現在でも、石垣島での1時間は東京での80分で流れ、竹富島になると、時間が止まっていると言われている位だ。八重山で過ごすと浦島太郎状態になるのは昔からのことかもしれない。

 最近は、そんな文化をウリにした観光も流行っているそうである。

 --- 参照 ---
(1) [映像] http://www.okinawabbtv.com/travel/kankou/kaisetsu/b04020343_miyaradunchi.htm
(2) [宮良殿内文庫] http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/academic/mdl/ref.html
(3) 金城須美子「近世沖縄の料理研究史料−宮良殿内・石垣殿内の膳符日記−」九州大学出版会 1995年
(4) http://www.kokka-ra.com/index.htm
(5) http://www.dc.ogb.go.jp/ishigakikou/history01.htm
(6) http://fujukan.lib.u-ryukyu.ac.jp/ja/rdb/details.php?id=ZB-00068&lang=ja
(7) http://en.wikipedia.org/wiki/Kookaburra


 「観光業を考える」の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2006 RandDManagement.com