表紙
目次
YOKOSO! JAPAN

■■■ 観光業を考える ■■■
2015.5.8

熱海史の一面

のんびり山道を歩こうと思っていたら雑踏。耐え難いので、脇道に入ったら、崩れていたり、藪漕ぎ状態が続いた。挙句の果てに、2mとはいえ、崖的なロープ場に遭遇。そんな労苦の影響が、だいぶたってから肩痛として現れた。
それもあって、熱海での温泉三昧を余儀なくさせられた。
暇つぶしがてら、熱海の歴史を調べてみた。

地名だが、"海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」"となったというのが定説化している。しかし、よくよく考えて見れば、その信用性は今一歩。

奈良時代に、すでに湯前神社が創建されていたというが、とってつけたような話と言えないでもない。[箱根の万巻上人が開祖]漢字では「熱海」ではなく、「阿多美」だったというのだから。
どう見ても古代の氏族名「阿多」から来ているとしか思えない文字である。「伊豆山」を目印とした「阿多湊」の地と考える方のが自然だろう。
まあ、色々な話を習合させたと考えるのが無難ではあるが。

もしかすると、「熱海」と記載するようになったのは、唐の影響かも。大陸の地名を知って。・・・
現在の名称は、イシク・クル[伊塞克]。キルギス[吉爾吉斯]に所属するが、当時は、安西都護府圏内。天山山脈北側の寒冷な高地にある"雪融水、無出水口、属内流湖"。当然ながら、透明だが、塩分濃度は低い。にもかかわらず不凍湖。深いので、湖底に温泉が湧いている可能性が高い。但し、この地でサウナ[桑拿]は盛んだそうだが、温泉場がある訳ではなさそう。
伝聞での情景描写にもかかわらず、有名な詩らしい。

   「熱海行送崔侍御還京」 岑参[715-770]
  側聞陰山胡児語 西頭熱海水如煮
  海上衆鳥不敢飛 中有鯉魚長且肥
  岸傍青草常不歇 空中白雲遥旋滅
  蒸沙爍石燃虜雲 沸浪炎波煎漢月

  陰火潜焼天地爐 何事偏西一隅
  勢呑月窟侵太白 気連赤坂通単于
  送君一酔天山郭 正見夕陽海辺落
  柏台霜威寒逼人 熱海炎気為之薄


もともと、日本では、温泉に入ることで、生気を取り戻すことができるとの信仰があったのは確か。従って、日常生活域から遠い地での湯浴みは垂涎モノであった筈。その地を「熱海」と記載することで、遠隔地だか霊験あらたかな地とのイメージをさらに膨らませたということでは。

今でこそ東京からは交通至便だが、小田原-湯河原温泉-熱海温泉-伊東温泉と海沿いに道はあったことはあったとはいえ、崖だらけの危険な道しかなかった訳だし。

   「遊豆紀勝」 安積艮齋[1791-1861]
  山路盤廻行更危 海風吹雨亂如絲
  但看前嶺雲爭起 身在雲中不自知


しかし、そのような僻地とはいえ、鎌倉幕府崩壊直後の時代に、温泉場として繁栄していたようだ。留学帰りの禅僧がわざわざ訪れる地だったらしいし。

   「熱海」 中巌円月[1300-1375]
  中宵夢破響琅琅 応是厳根湧熱湯
  筧筧分泉煙繞屋 家家具浴客

  海涯地暖冬無雪 山路天寒踏霜
  嶼遠蒙雲霧黒 紅潮送月落微茫


東海道五十三次が整備された時代になっても、江戸からなら、海沿いよりは、東海道の箱根宿と三島宿の間にある箱根峠から十国峠を経て伊豆山というル−トの方が、距離は長くとも安全だったのかも知れぬ。
それが、明治28年から33年にかけて、小田原との間に豆相人車鉄道が開設され俄然近場に。大正14年には鉄道敷設。これで東京から約3時間の距離に。
今や、1時間かからない訳だ。
そんな地の利があるにもかかわらず、余り繁栄していない印象を受ける。地元の考えと、訪れる人々の考え方の間に深い溝があると見てよさそう。イメージが違いすぎるのだと思われる。

熱海にブランド的価値をつけたのは、おそらく「熱海会議」。その政治的宣伝と思われる書が残っている。[@萩博物館]
   「暁発凾根途中作」世外(井上馨) (C)文化庁
拂雲とか、素人には感覚がつかみきれぬ用語が入っているせいもあり、決して興味を覚える手の作品ではない。

ただ、大陸のインテリから見れば、そのような地であることは魅力的に映ったことだろう。外交官的な役割を果たしている方々にとっては、熱海は必ず訪れるべき地であったに違いない。
    「-」 黄遵憲[1848-1905]
  山深太古日如年、小屋陰涼樹挿天。
  拝疏公庭争乞假、要従熱海欲温泉。

西法夏月各官許給假三十日、日本亦倣之。豆州熱海有温泉、老樹参天、遊者雲集、諸省郎吏多尽室而行者。
劉凡夫[遼寧師範大学]:「近代中日交流の風景―清末の漢詩にある日本語」

政治的ブランドの地だとすれば、実態が伴わなくなれば、一挙にその魅力を失うことになろう。文化的に惹きつける根拠を喪失してしまったからである。そのノスタルジーでブランド再興というのが果たしてどこまで意味を持つか。まあ、誰をお客様とするかで、成否は決まると言えよう。

(中巌円月文献)
「東海一集」(抄)新日本古典文学大系 48 五山文学集 岩波書店 1990
"五山の詩情(四)―別源円旨・中巌円月" NHKラジオ講座「漢詩をよむ」第29回
(参考)
板坂耀子第三研究室「近世紀行文紹介 その六(温泉紀行の部)」


 「観光業を考える」−INDEX >>>    HOME>>>
 (C) 2015 RandDManagement.com