「ちんたら」で検索したら、Chikirinさんという方のブログに遭遇。
小生はブロガーではないため、この手のブログに全く興味を持っていなかったのだが、せっかく出合ったので読んでみることにした。
≫“ちんたら生きていく” Chikirinの日記 [2010-12-12]
そこそこ長かった会社勤務から足を洗って、100日間なにをしたかという話だったが、「ちんたら」という表現が気になった。
言うまでもないが、この言葉は、一般的には、やる気なく、ダラダラ、ノロノロ状態で活動することを意味する。もともとは、「・・・するな!」という使い方だったと思われるが、「ちんたら」山歩きが好きといった言い方も多い。と言うか、小生はその口だった。
この方の場合は、“なんにも有意義なことせずに、ちんたら生きていきたい”そうである。
この文章だけなら、ほ〜、そうかということで終わるのだが、読むと違和感が残るのである。描かれている生活はそれとは正反対としか思えないからだ。
・「日本語教師」の資格もとってボランティアも始めたい。
「ちんたら」ボランティア活動をしたいのだろうか。
・洋裁とかDIYが趣味で、・・・全く手つかず。
なんと、趣味に割ける時間が無いのである!
・若い人がすごく優秀なので、彼らと話していると・・・いろいろ勉強になります。
いろいろ勉強になるというのは、有意義とは違うのかね。
・シンポジウムに行った。・・・講演引き受け、・・・ネットワークと活動範囲の拡大。
なんにも有意義なことせずに?
別に、揚げ足取りをしたい訳ではない。そんなことはそもそも無駄だし。
なにせ、自称“おちゃらけ社会派”の方のブログなのだから。
にもかかわらず、気になったのは、“自由に生きる”=“有意義なことをせずに生きる”と考えている節があるから。そして、働かないで生きていけることが“自由”に繋がると考えていそうな点も。
そんなものかね〜。
2〜3ヶ月徹底的にアルバイトをして、出費も抑えて、できるだけお金を貯め、そのお金が尽きるまでタイで暮らすというのならわかる。そのような生活を、自らの意志で選択しているのだから、確かに“自由”を謳歌していると言えよう。
しかし、会社勤務をやめて食べていける状態を、“自由”と見なす発想は理解し難いものがある。なかでも、退職すると、10日間のゆったりした旅行も取れるといった手の話には驚かされた。そうしたいなら、それが可能な職場を探すのが筋ではないか。冬に熱帯リゾートに行って気分転換というのも、働いているからこその楽しさでは。それがしたいなら、そういった仕事を自分で探すべきだと思うが。
組織の一員として、身を粉にして動くこと以外にも、職業の選択肢はいくらでもあろう。
小生は、どのように働くかの選択こそが、“自由”に繋がると考えるが。
もっとも、追求するにしても、それは、今の日本ではえらく大変というのが現実。