■■■■■ 2010.12.16 ■■■■■

 人権軽視の日本型“表現守れ”運動が流行っているそうだ

 共産党機関紙「赤旗」によれば、“表現守れ”運動が広がっているそうである。“漫画家も出版社も日弁連も”だという。
 もちろん、東京都の青少年健全育成条例改定案の話。15日の都議会本会議で可決したが、日本共産党、ネット、自治市民の3会派が反対したそうである。

 この関連のニュースをほとんど見ていなかったので、少し眺めてみたが、石原都知事への批判が相次いでいたようである。失礼ながら、ピント外れでは。
 なにせ、昔から、大衆蔑視発言をくりかえしてきた政治家だからだ。しかも、欧米なら、その一言で間違いなく政治生命を奪われるものまで含まれている。それを取り上げて、いくら批判したところで、今更感。それが、今回の条例改定と直接繋がる訳でもあるまい。

 さらに、ピンボケに思えるのは、“出版関係団体はこれまで、過激な性描写のある本は区分陳列や、本を開けないようにするシール留めなど自主規制に努め、「不健全図書」は減少してきました。”という話を重視する目線だ。誰かが、問題をすり替えたようである。
 それは奏功したようで、マンガだけ敵視し、ポルノ小説を問題にしないのは差別と言い出す人が大勢登場している。

 小生は、これは“人権侵害”問題だと思うが。
 “過激”な出版物を取り締まれという話ではないということ。
 もともと、マンガは子供用のものだった。今でも、マンガ売り場は子供が行きかう場所。そこに、大人用のポルノまがいの体裁のマンガを並べるなというだけの話である。
 こんな売り方をしていていれば、子供の人権無視と言われて当たり前。反論の余地など無い。

 “表現守れ”と叫ぶから、一見、人権擁護勢力に見えるが、この運動は逆噴射状態。知事も異端だが、こうした運動も又異端なのである。こまったものである。
 まあ、それが民度ということでもあろう。なにせ、人権問題については無頓着な人ばかりなのだから。
 女性だらけの電車内で、駅売店で販売されている新聞のトンデモ写真を平然と開く御仁にいくらでもお目にかかれる社会なのは、ご存知の通り。しかも、それを誰も注意できないのだ。自分のカネで買った新聞を電車で眺めていて何が悪いという感覚が、日本の常識。人権感覚なき社会であるのは間違いないのである。
 従って、これを変えていこうというのが、現代の人権擁護の流れ。・・・と言っても、ついこの間まで、ヌードカレンダーを大部屋に平然と貼っているお役所があったくらいだからそう簡単ではない。“表現守れ”運動の方々が、「そのどこが悪いの。それを止めさせるなど、“個人の自由”や“表現の自由”の侵害だ。」と言い出さないことを祈るしかないのが現実。

 新聞問題も、マンガ問題と同じようなものだから、ついでに書いておこうか。
 よく知られているように、宅配用新聞にはドギツイ写真を掲載することは無い。つまり、電車内で読むための版にのみ、風俗とエロの紙面があるということ。そうしないと売上激減だから、止められないのだ。
 ここで、人権を持ち出されれば、ドギツイ写真掲載紙誌の駅売ができ無くなるだろう。そうなれば、おそらく、この手の出版物事業は潰れる。“表現の自由”論者にとっては、言論を奪われる一大危機ということかも。しかし、それが現代の人権擁護の流れなのである。
 条例反対の理屈から見て、“表現の自由”論者は、こうした流れは許せぬということのようだ。そうなると、日本だけは“人権”を無視する国を目指すことになる。それでよいのかね。

 そうそう、こんなことは百も承知の出版屋の動きが、これまた圧巻。

 よりもよって都が支援する展示会をボイコットするそうである。それに何の意味があるのか外部からはさっぱりわからぬ。
 しかも、世界に冠たるマンガ文化を護れとの主張をくり広げているらしい。
 そんな気概があるなら、PTAが嫌がる類の本を欧米に持ち込んで、“当社は、権力の規制を許さず、このような本を、子供が来るマンガ売り場で販売し続ける所存”と誇ってみたら如何だろう。もちろん、こうした作品こそが、日本マンガの真骨頂との主張も忘れずに。マンガ好きの政治家もいることだから、応援を頼んでみたら。
 そうそう、その前に、欧米の新聞を呼んで記者会見で条例の不当性を世界に呼びかけることをお勧めしたい。我々は日本のメディア企業の代表としての自負から、表現の自由を護るために、非常識極まりない条例に対して戦っていると是非宣言してもらいたいものである。

 もしかすると、この調子で、せっかく上手くいっていたマンガの米国市場浸透を潰したのかも。
 いくらビジネスチャンスがあろうが、“人権侵害”と見なされかねない本を、無神経に輸出しかねない出版社だと気付けば、米国の業界人ならすぐに尻込みする筈。子供向けマンガを扱っていて、その手の企業と見なされたら、反社会的存在との烙印をおされ、生きていけなくなるからである。

 おわかりだと思うが、この問題は単純である。
 PTAが、児童ポルノとしか思えないものや、近親相姦まがいのものを、子供の目に晒すような売り方を止めろと要請したら、即時100%対応するしかない。議論の余地はないのである。それは“人権侵害”に該当する可能性があるから。
 従って、その手の書籍を認定するルールを自分達で作り、該当するものは通常販売ルートから外す以外に手は無いのである。当然ながら、そんなものを書いている人は食べれなくなる。出版ビジネスも落ち込むだろう。人権を重く考えるなら、それは致し方ない話。
 それができない国は、人権を語る資格はないというだけのこと。

 PTAの要求に対応せず、ドギツイ表紙のビニール袋本にするだけで、今まで通りビジネスを続けるというのなら、子供の人権を護るためには規制するしかあるまい。それは出版屋が自ら選んだ道である。
 もっとも、人権を重視しない国にしたいなら別である。

 繰り返すが、これは、倫理や道徳感の問題ではない。“人権問題”なのである。

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