■■■■■ 2010.12.24 超日本語大研究 ■■■■■

 日本語の一大特徴はオノマトペ

 日本語は、インド系言語と同じく、「子音-母音」の一音を構成単位とする言語である。そして、母音と子音の種類が少ないのが特徴。そうなっているのは、ひとえに「子音x母音」の五十音表文字で発音を標準化しようとしたからに違いない。
 この方式を採用しているため、新しい言葉が簡単につくれる。どんな外来語だろうが、実際の発音になんとなく似ている音を五十音から作るだけで日本語化が完成してしまうからだ。小生は、古語もこの調子で標準化したのではないかと見ている。
 要するに、どんな言葉でもお気軽に取り込み、すぐに同化してしまう雑種言語なのである。従って、音韻から系統を探ろうとしてもわからないのは当たり前ではないか。
    「日本語は雑種言語なのでは」(2010.12.22)

 もちろん、これは素人の想像にすぎず、証拠がある訳ではない。しかし、そう考える理由がまったくゼロともいえない。それは、日本語では、オノマトペ(onomatopee)が異常とも覚えるほど発達しているから。それも、五十音に従って。

 もちろん、どの言語にも擬声語は存在している。「ワンワン」のように、犬が吠える声を言葉に直せば、似た語彙になるのは当たり前。
    中国語 (wang-wang[汪汪])
    タガログ語 (hao-hao)
    タイ語 (wob-wob)、ヒンディ語 (bhu-bhu)、タミール語 (lol-lol)
    アラビア語 (hau-hau)
    ラテン系 (bau-bau[伊語], guau-guau[西語])
    ゲルマン系 (wau-wau[独語], woof-woof[英語], waf-waf[蘭語])
    露語 (гав-гав)

 なんと言っても驚きなのは、音は多少違うが、擬声語の表現形式が全く同じであること。、単純明快な世界標準ルールがあると言ってよいだろう。
    ・二音で表現する。
    ・二度繰り返す。
[もちろん、これに従わない表現もある。お気づきになったと思うが、英語で通常使われるのはbow-wow。・・・英語はflip-flap、hip-hop的な表現を好むのかも。]

 牧畜生活の民なら、こうした音から“鳴く、吠える、吼える”といった動詞が生まれたと考えるのが自然。しかし、日本語はここから一歩進むのだ。
 擬声語と同じ手法で、想像上の“音”を作り出す。あるいは、常識的には聞こえない音を、聞き取ったといえるかも。そう、擬態語のこと。(もちろん、連続的でない時は、繰り返し言葉にはならないが、基本は繰り返し語だろう。)
 日本語研究では軽視されているらしいが、このような擬態語こそ日本語の源流ではないのか。もともと、二音の言葉でもダブルものがある位で、繰り返し発音好きな人だらけだった可能性もありそうだし。
    「ほほ」、「みみ」、「もも」
    「ちち」(パパ)、「はは」(ママ)
      笹、獅子、煤、筒、トト(魚)

 だが、それを別にしても、二音の繰り返し型とその変形の擬態語の数は半端ではなさそうだ。
 どの程度かは、“ふ”で見るだけで想像がつく。“ふ”以外を、該当箇所に並べてみたが、全てを並べたら凄まじい数になるのは明らか。しかも、それだけ多種多様にもかかわらず、驚く無かれ、日本人は、それらの言葉の微妙な違いを認識しているのである。こんな感覚は、他言語にはないのでは。もしそうなら、古代から連綿と繋いできた精神がこの擬態語用法に流れているということではないか。
    【ア行】 ふうふう  [ワイワイ][冷える-ヒエヒエ]
    【カ行】 ふかふか、ふくふく  [メキメキ][ニコニコ]
         ふがふが、ふごふご
    【サ行】 ふさふさ  [ワシワシ][ボソボソ]
                 [ムシャムシャ]
    【タ行】 ふつふつ  [カタカタ][モチモチ][コテコテ][ヘトヘト]
                 [ペチャペチャ][カチンカチン]
    【ナ行】 −     [へナへナ]
         ふにゃふにゃ
    【ハ行】 −
                [粘る-ネバネバ][チビチビ][ズブズブ]
    【マ行】 −     [ナミナミ][滑る-ヌメヌメ]
    【ヤ行】 −     [ホヤホヤ][ナヨナヨ]
    【ラ行】 ふらふら、ふりふり、ふるふる、ふれふれ
         ぷりんぷりん、ぷるんぷるん
    【ワ】  ふわふわ
    【ン】  ふんふん
    【撥濁】 ふるふる
 さらに、“ふ”を撥濁化すれば、「ふるふる→ぷるぷる→ぶるぶる」と語彙が増えていく。それだけではない。上記にも示したが、「粘る」という動詞から「ネバネバ」という擬態語を生み出したりするのである。考えてみると、その見方は間違いで、ネバという音が語幹であるというだけのことかも知れないのだ。二字が語幹の言葉なら、連続的な様子を繰り返し形式にする用法が適用できるということかも。と言っても、「食べる」を「タベタベ」と言うとは思えないが。

 こうして考えてみると、擬声語や擬態語を子供が使うような言葉と見なして、軽視するのは間違っているのではないか。
 なにせ、品詞にもなるからである。例えば、「“ふうふう”する」という言い回しにすれば動詞として通用するし、「“ふかふか”(な)座布団といった具合に形容的にも使えるのである。・・・小生は、なんとなく、原始の言葉の気分がしてくるのだが。

 古代の精神を今もって捨てず、後生大事に抱え続けているということ。どの位この手の言葉が愛されているのかは、普段の会話を思い出せばすぐにわかる。
 仲間内での情緒用語がいかに重要かがわかる。
    “わざわざ”お越しいただき、恐縮です。
    “ぼつぼつ”始めますか。
    “そろそろ”一休みしません。
    “まだまだ”大丈夫。
    “ほどほど”の所で終わりにしますか。
    “そこそこ”仕上がりましたし。
    “まあまあ”上出来といえるのでは。
 ということで、帰宅して、“しみじみ”したりして。(理由は知らないが、この単語、いかにも日本的なのだと。もちろん、大企業のサラリーマン語としての話だが。)

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