■■■■■ 2011.1.19 超日本語大研究 ■■■■■

 日本の漢字利用法は独特

 2010年末の中国当局者のライブ記者会見によれば、"China's Online Population Hits 450 Million" とのこと。政治・経済的大波乱がなく、この調子で進むとすれば、2011年末には、ブロードバンド人口も4億人に達することになりそうだ。
 流石、漢字の国。

 毛沢東は漢字のアルファベット転換を夢想していたようだが、無理筋である。ベトナムとは違い、中国は多言語の大国であり、書き言葉としての漢字での統一こそがアイデンティティだからだ。毛沢東の初期の演説など、ほとんどの聴衆は聞き取れなかった筈で、そんなことはわかっていそうなものだが。
 だいたい、歴史的には、元や清といった、非漢語民族による漢語での統治の時代が一番政治的に安定していた訳で、華北地域の発音表記で言語統一しようとした瞬間、分裂騒動が勃発するのは明らか。

 それに、間違う人が多いが、識字率をあげるには、漢字よりアルファベットの方がよいと言える訳でもないのである。覚える量が少ない音素文字を使えば、文字だけ覚えるという点では楽なのは確かだが、その先は大変だからだ。

 といっても、その理屈がわからない人も少なくないか。
 そういう方は、試しに、New York Timesのコラムを読んでみればよかろう。年中読んでいる人は別だが、多少英語を読める人でも、知らない単語がでてきて躓くのではないか。クオリティ・ペーパーは簡単には読めないのである。発音が想像できても、意味は想像できないからだ。
 これと、クオリティ・ペーパーとされる朝日新聞を比べてみるとよい。こちらは、誰でも読める。紛れもなき大衆紙。どうしてそんなことが可能かといえば、漢字と簡単なひらがな文章が基調だから。たとえ初見の単語だろうが、漢字なら読めなくても意味を想像して読み進めることができるからだ。このことは、文字を音へ変換せず読む訳で、速読に向いている言語と言える。翻訳の科学・工学本が多いことが、実は、日本の研究者・エンジニアの底上げになってきたとも言えそう。おそらく、中国語でも同じことが言えるから、本を読まなくなった日本は基礎力では早晩追い越されることになろう。
 これでおわかりだと思うが、日本ではクオリティ・ペーパーを誰でも読めるから、一見、民度が高いように思ってしまうが、そうとは限らないということでもある。

 そんなことを考えると、日本語の特殊性が見えてくる。
 パソコンの日本語入力でおわかりのように、同音異義語が桁違いに存在する言語世界なのである。例えば、コウギョウは、工業、興行、興業、鉱業、航業と5つもある。接頭漢字ともいうべき、超とか高をつけたりすることも考えると、もっと考える必要がありそうだ。「好業」績も該当すしかねないからだ。当然、間違った解釈もありえる。そのため、予め「サイエンスの科学」と言って化学ではないことを示したり、私立を「ワタクシリツ」と呼び変えたりする。実に面倒な言語だ。

 しかし、これこそが、日本語のユニーク性。
 日本異質論にはいい加減なものが多いが、これだけはまごうかたなき独自文化。
 発音だけでは単語が決まらないので、音を一度文字に変換して、ようやく意味がわかるのだ。この場合、どう文字変換するかは、文脈や場の状況次第。こういう言語は稀。
 広東語だろうが、北京語だろうが、例外単語はあるが、1発音=1単語が原則。だからこそ、中国語には声のトーンによる区別が生まれているとも言える。もちろん、日本語にも、柿と牡蠣や、端と箸のように、イントネーションで峻別することもあるが一部に過ぎない。原則、そんなことはどうでもよいのだ。

 どうしてかと言えば、発音だけで意味を判断しない言語だから。と言うか、状況を理解していないと通じないのである。
 例えば、「トーキョーエイコー。」と書かれてもすぐにはわかるまい。ところが発音されれば、誰でも「東京へ行こう。」とわかる。思うに、頭のなかで発音をすぐに文字に変換して、理解しているのである。

 日本人の外国語会話習得が苦手な理由の一つはここにありそうだ。この文字変換の習慣にどっぷりつかっているから、外国語にも当て嵌めようとするに違いないからだ。
 しかも、義務教育で、和訳の練習をさせるからその習慣が強化される。漢文のレ点型での翻訳が正解とされており、それができないとテストで零点とされるから、そんな練習ばかりする。会話の場で、SVO型構文や関係代名詞文を日本語らしく直してから外国語に翻訳するのでは、文字通りお話になるまい。

 ただ、だからといって、このそのせっかくの特徴を消す方向には進んで欲しくないものだ。この文字変換能力こそ、日本文化そのものである可能性が高いからである。
 しかし、残念ながら、その方向に向かいつつあるのかも。
 漢語組み合わせの新語作りが消えうせつつあるからだ。例えば「茶髪」ではなく、「チャパツ」である。外来語や流行語のカタカナ表記を過度に増やし、漢字を知らない層が増えると、どうしてもそうなる。
 すでにギャグや冗談で、同音異義語を扱わない傾向が見える。同音異義の言語から離れたいとの風潮が生まれているのは間違いないようだ。

(C) 2011 RandDManagement.com    HOME  超日本語大研究