■■■■■ 2011.2.18 ■■■■■

 アラブ民主化期待の深層心理を読む。

 アラブ情勢が気になるので、欧米メディアやアルジャジーラを一瞥するようにしているが、民主化期待論調が増えてきた気がする。
 その理由だが、振り返ってみて、一番わかり易かったのは、THOMAS L. FRIEDMANのオピニオンではないだろうか。と言うか、なんと言っても、タイトル名が秀逸。
 ["China, Twitter and 20-Year-Olds vs. the Pyramids" N.Y.Times February 5, 2011]

 要するに、一言で言えば、貧国エジプトは国際競争に敗れたのである。もちろん、エジプトだけでなく、アラブ全体が、グローバル経済の時代に、敗者の道を歩んでしまったのである。それは米国のせいではない。

 なにせ、エジプトまで中国製品が流れ込み、低賃金労働者が職を奪われる時代。ラマダン用の、エジプト民謡が流れる電子ランタンや玩具が怒涛のように押し寄せているのである。これが世界の現実。
 この膨張一途のグローバル経済活動の結果、食料品・石油の需要もうなぎのぼり。これに加えて、米国のドル垂れ流し政策の影響は凄まじいものがあり、発展途上国では価格高騰に襲われている訳だ。

 それでも、石油で富めるアラブ国家なら、この事態にどうにか対処できる。
 例えば、クウェートでは110万人に3,500ドルのギフトと総額8億5千万ドルの食料支援金だそうである。騒動発生中のバーレーンも別な名目で、全家庭に祝金配布。
 ともかく、生活支援金バラ撒きと給与引き上げでなんとか暴動を防ぐしか手がないのである。
 カダフィー独裁政権下のリビアでも、不平の声があがっているに違いない訳で、即座に食料配給に踏み切るなどして対応するに違いないのである。しかし、そんなことができる富める国はほんの一部。アラブの国際的に通用する産業といえば、鉱区の利権商売と、古代遺跡巡りくらいしかないから、失業と貧困が急速に高まっている国だらけなのが実態。

 サウジアラビアにしたところで、すでに富める国のカテゴリーには入らないのでは。(注意: 日本のメディアでは豊富な資金力があるため、富める国家と報道されている。)
 貧困層は厚く、失業者だらけのようだから、国力の衰えは報道以上のものがありそう。OPECの動きが無くなって長く、今や、アラブ一の影響力と言っても、それはテロリストとテロ資金の一大輸出国としてと言われかねなくなってしまった。しかも、王権継承期にあり、米国の姿勢が変われば、どうなるかわかったものではなかろう。
 それより、どうにもなりそうもないのがヨルダン。人口の過半がパレスチナ難民で、もともとの住民のベドウィン系は失業者だらけという状況だからだ。親米派外交官の国王ができることといえば、民主化約束のもと首相を更迭し、国庫から5億ドルを生活補助に回すくらいしかできない。富める国ではないから、この程度の対応で社会が安定するとは思えまい。

 ただ、対処療法だといっても、それが可能な国はまだ恵まれている。
 8,000万人の人口を抱え、観光業ぐらいしか目だった産業が無いエジプトでは、そんなことさえかなわぬ夢だろう。今のままなら、誰が見たところで、貧困国へ向かってまっしぐらに進むだけ。教育水準は高い国であるにもかかわらず、それが経済発展に結びつくどころか、かえって失業者だらけの社会を作ってしまったということ。
 ムバラク独裁体制が続く限りこの状況を抜けれないとの感覚は間違ってはいない。しかし、独裁政権を打倒したからといって、ペーパー学士向けの職場が生まれる訳はないし、民主選挙が実現したからといって、国際競争力が上昇する保証はない。ドッグ・イヤーで進化するインターネット時代に合わせて走り続けてきた教育国家シンガポールとは対極的な動きに徹してきたツケは余りに大きいのだ。
 そんな状況で、貧困に喘ぐ膨大な若者の声が、Twitterの登場で、指導者にも届き始めたということ。

 その手の若者の数はアラブ全体ですでに1億人とか。
 その人々が、欧州等のブログの介在で国境を越えて相互に繋がり始め、民主化運動が伝染しているのだそうな。これから、さらに沸騰していくことが予想される訳だ。

 それでも、エジプトの場合は、一縷の望みはある。軍のエリート層が窮地を乗り越える力を発揮できるかもしれないからだ。しかし、ヨルダンはそうはいくまい。
 そのヨルダンのムスリム同胞団(政治部門:Islamic Action Front)の幹部とのインタビューでの一言が、このコラムの最後に掲載されているのである。実に、印象的なシーンなので引用させて頂こう。・・・

 幹部は語る。"If leaders don't think in new ways, there are vacancies for them in museums."
    それはそうだ。
 そこで、asked Zaki Bani Rsheid if his own party was up for this competition.
    すると、今までのアラビア語での応答が突如途絶え、英語に代わる。
 目配せして曰く、"Yes we can."

 民主化運動はここまで来ていたのかと感じさせる態度だ。リーダーは明らかに成熟した思慮深い政治家。今までのような、"Mubarak is a Zionist."を叫ぶだけの大衆運動扇動者ではない。過激派を切り捨てる腹積もりがありそうだ。
 米国流に考えれば、それなら、ひとつやらせてみたらどうだという気にもなろう。まさに、お手並み拝見といったところ。それに、イランによる反米勢力支援で地域一帯を霍乱されるよりずっとましだし。
 民主化どころか、宗教独裁が始まったり、あらたな暴虐的軍事政権が樹立される可能性も高いが、それは新たな混沌を生み出すだけであるのは明らか。さらなる貧困状態へ落ち込んでいくのは間違いないところ。行き着く先は騒乱の常態化。
 そうなれば、結局のところ欧米の軍事力に泣きつくしかない。まさに、元の木阿弥。それならそれでご協力に吝かではないぜということか。

 ともあれ、世界はその方向に動き始めてしまったようである。それを半ば賛美するような論調が増えているのだから、流れが加速されるかも。
 しかし、その考え方に乗るとどんなことが発生しそうか考えておいた方がよい。民主化というのは、あくまでも各国国内の目線。国内政治の"民主化"は外交の硬直化を意味することが多いのである。もともと、アラブの国境線など、定規で勝手に引いただけのもの。いつどこで紛争が発生してもおかしくない地域。そこに、武力で決着をつけることも厭わずといった世界的風潮が乗っかってくる。地域大戦争のリスクが急速に高まるということ。
 それはそれで致し方なかろうと考えている人が増えていなければよいが。

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