■■■■■ 2011.3.5 ■■■■■

 これからどうなるのだろうか。

--- 日本のマスコミは役割を間違えていないか。 ---
 どうでもよさそうな「大相撲八百長」の大騒ぎがようやく終わったと思ったら、今度は「大学入試カンニング」のニュースでもちきり。ついには全くのデマ報道まで流すという悪乗りまで。
 菅政権にとっては、筆舌に尽くしがたいほど魅力的な報道が続いたといったところか。

 そう思うのは、現政権の方針は、国会での論議を出来る限り避け、メディア露出も極力抑え、主流派マスコミに依拠し、一日でも長く政権維持というものに映るから。
 マスコミの姿勢も姑息である。いつか踏み切らざるを得ない増税と関税撤廃は現政権しかできないかも知れぬから、支援を惜しむなというに過ぎないのである。しかし、少々の増税など焼け石に水でしかなく、市場開放しても関税分の補助金が落ちるような代物。自由貿易構造を生かせるように競争力向上施策を打つことはしないのだから、問題先送りをお勧めしているにすぎない。
 そんな先送り政策でも無いよりはましという訳である。これ、マスコミの役割を放棄した状況とはいえまいか。そんなこともあり、たいした意味もないニュースが大賑わいなのかも。

 実に、天下泰平そのもの。
 世界秩序がガラガラ崩れ始めているのではないかと思うが、なんの危機感も感じていないようだし。日米関係もおそらく大きく変わると思うが、さっぱり動きがわからない。オピニオンリーダーやマスコミの責任は大きい。

--- 信念なきミニコミに存在価値はないのでは。 ---
 このことは、日本は"知らしむべからず"国家への道を邁進していると言えるのではないか。すでに、菅内閣誕生で、変革への情熱は霧消してしまったが、この先は相反する利益を巡って、パイの取り合うい政治になってしまう可能性が高い。せっかくの政権交代だったが、"有害無益"で終わる訳だ。
 もっとも、それを残念がる人もすでに少数派になってしまったようで、日本の政治の混迷はさらに深まることになりそうだ。こまったもの。

 従って、こんなことを書くのは時間の無駄と言う人もいる。その通りかも。
 なにせ、日本のミニコミは質が悪すぎる。内容もさることながら、立ち位置が胡散臭すぎるのだ。ほとんどの場合、マスコミの話題の後追いメディア役でしかない。なんのために意見を表明しているのかさっぱりわからないものだらけ。マスコミに取り上げられることが夢で、目立てば結構ということで書いているとしか思えない。こういうタイプの人が核となって新潮流が生まれるとは思えない。

 日本は発言だけは自由だが、マスコミもミニコミもこんな状態。お陰で、重要な情報はさっぱり流れない。巷に溢れるのは、些細な話に尾鰭がついたものばかり。
 これでは、実質的には、言論統制状況とたいしてかわらないかも。ロシアではマスコミより政府の方が信用されるが、日本は丁度その裏返しといったところでは。それが風土というしかないか。

--- リビアでの反乱は予想外。 ---
 こんな気分の時、リビア大混乱の報。
 ここまで拡大するとは。小生は、全く予想できなかった。
 宗教原理主義勢力を徹底弾圧してきたし、欧米覇権への対抗姿勢を貫きながら、欧州から莫大な原油収入を確保するというなかなかの政治巧者の政権と見ていたせいもある。まとまる道理が無い部族社会を、お金と武力威圧で分割支配に成功してきた訳で、部族反乱が始まらない限り政権が揺らぐことは考えにくいし。
 ただ、独裁者の後継者問題を抱えていたから、なんらかの騒動を切欠にして、政権内部からクーデターが発生するとは睨んでいた。それも見事に外れた。

 このことは、自分の時代感覚がずれているということかも。
 と言うことで、少し考えてみたのだが、未だによくわからないまま。
 それなら、少し整理してみるかということで、書いてみることにした。

 まず、リビアの現状。
 独裁政権の力量だが、BBCの首府の状況報道を見る限り、独裁者の身内と出身部族は結束を強めているようだ。内部からの瓦解の可能性はかえって減ったと見るべきだろう。それは、とりもなおさず、手兵同然の正規軍や親衛隊の強力な力が残っていることを意味する。国軍の反乱や、高級官僚・外交官の離反がいくら続いたところで、どちらも部族国家の中核支配機構に関与しているとは言い難く、体制崩壊の兆しと見るのは無理があろう。
 一方の反政府勢力だが、お金も組織も武力も無い"市民"による反独裁の運動だったと言われている。モスクでの金曜礼拝後の高揚気分のまま示威行動に移って、強硬な弾圧に直面したため本気で命を賭けての反政府運動が勃興したというところらしいが、何の支援もなしにこうした動きが続く訳がない。武器を持って正規軍と戦っているとすれば、それは部族民兵以外のなにものでもなかろう。

 ともあれ、狡猾な独裁者による部族分割支配構造が崩れてしまった訳だ。こうなると、石油利権を巡る血みどろの戦いに陥る可能性もある。少なくとも一つの国家としてまとまることは難しかろう。UNHCRによれば、すでに数多くの難民が隣国に流れ込んでおり、それを武力で止める事態に陥っているそうだし、国外脱出成功組も実情を語らないようだから、アフリカ的な部族抗争が始まったのかも。

--- 時代の転換点にさしかかったということか。 ---
 ・・・といった見方はできるが、そんなことは実はどうでもよい話。気になるのは、この事態発生の切欠となった運動の本質。
 なにせ、リビアはチュニジアやエジプトとは違う。援助に頼る貧国ではなく、面倒なことはすべて移民労働者にまかせている国なのである。生活苦や失業での閉塞感が底流にある訳ではない。それに、アラブの民衆が嫌っている親米独裁政権でもない。従って、欧米に頭を下げるだけの独裁者に統治されているとの屈辱感は皆無だろう。
 そうなると、深部には部族対立感情があるものの、政治的表現の自由を希求して始まった反独裁運動であると考えざるを得ない。

 チュニジアやエジプトと同根と見ることも間違いではなさそうである。組織的な背景なしに、突如、自由を求める独裁者排除運動が勃発したため、治安機構が弾圧する方法を見出せなかったということだろう。弾圧の恐れをものともせず、若者が立ち上がった訳である。
 発言の自由が重要という価値観は議会制民衆主義の形態をとる先進国だけと思っていたが、そうではないということ。部族社会のアラブ国家では、支配層批判の発言だけで投獄や処刑のリスクがあるから、国内でそんな要求が表面化することはあり得ず、もし、そう見える運動が始まったら権力奪取の隠れ蓑的な動きと考えていたが、それは間違いのようだ。
 偏見が過ぎたとすれば、反省せねばなるまい。

 衛星放送やインターネットの時代になると、発言の自由は普遍的な欲求となっていくのかも。そんな時代に突入したのだろう。
 親米国と違って、リビアは愚民政策を進めていたようだが、その効果はなかった訳である。人口645万人に携帯電話500万台。かつ都市化率78%となれば、自由を求める運動が勃興しない方がおかしいと見るべきだったか。情報隔離はできなくなり、"緑の書"で政治の実態を隠蔽することができなくなった訳だ。

 ブータン国王が、"国民総幸福量"を喧伝することで実態を隠蔽し、情報鎖国を敷いたが結局のところ力を失ったのは、インドの方針転換と見ていたが、こちらも、時代のうねりが到達したと見るべきだったのかも。

 問題は、独裁者を権力から引きづり下ろすことはできても、政治体制の青写真など皆無だし、新しい組織を編成する力も無さそうなこと。
 そして、これが国内問題で終わらない可能性もある点が恐ろしい。周囲の軍事脅威を取り除く好機とみて、イスラエルが戦乱の火蓋を切らないとも限らないのである。イラン海軍艦艇のスエズ運河航行は、これを抑える効果になるのか、逆に煽ることになるのか、なんとも言い難いところ。

 ともかく、エジプトとリビアの騒動勃発で、米国は、中東一帯の位置付けを大きく変えるしかなくなったのは間違いなかろう。

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