■■■■■ 2011.9.19 ■■■■■

 電子書籍普及の失敗は軽視できない問題だと思うが

日本での電子書籍普及への挑戦は、結局のところ、成果は上がらないままで、終焉することになりそうだ。
これは、重大なこと。
プリントメディアの電子ファイル化という大きな流れから外れてしまったことを意味するからだ。翻訳本なくしては世界の情報が行き渡らない社会だから、世界の動きに、さらに大きく遅れること必至。

ただ、それほそうだと思っても、これを大問題と考える人は少なさそう。
それは、ケータイ用コンテンツでは、日本は先頭に立って電子書籍市場を切り拓いていることを耳にしているからでもあろう。

そのような見方でよいか、ここら辺りで振り返っておく必要があるのでは。

まずおさえておくべきは、電子書籍化で生まれるメリットは3つあるという点。
(1) 読みたい書籍を探し出し、即時、入手して読み始めることができる。
   読みかけ箇所から、いつでもすぐに再開できる。
(2) 音や画像情報を加えることで、より豊かな内容を提供できる。
   読みながら、他の情報が参照可能なので、より深い理解に繋がる。
(3) クリップ、ハイライト、コメント記入を整理して残すことができる。
   他の人との読後意見交換が容易になる。

新しいメディアの誕生ということで、(2)は華々しいし、社会的なインパクトという視点で、(3)がどうしても注目されがちだが、基本はあくまでも(1)。おわかりだと思うが、書籍化と配送が容易になることで、競争の質が変わることが肝。上手い方向に進めば、書籍内容の質を格段に向上させることができる筈。画期的な知恵が生まれ易くなるということ。

但し、ケータイで読むような「書籍」は該当しない。この点には注意を要す。
ケータイ型のモバイル機器での読書とは、できる限り短時間で済ます情報収集行為か、当座の時間潰しでしかない。大流行を生み出す可能性はあっても、人々の認識を根底から覆す「ものの見方」をつくりあげる力は無いということ。
読書とは、あくまでも個人的なものであり、他人の書いたものを読んで、自省すると言うか、自分と向き合うからこそ、思考が深まるのである。そこから新しい知恵が生まれる。
イノベーションを生み出すには、こうした「じっくり」思考が必要不可欠。今の時代、電子書籍化は、そんな風土を固定化するのには最良の一手。
逆に、電子書籍の普及を押し留めれば、世界の流れから取り残され、知恵も生まれにくい沈滞した社会に落ち込むことになろう。

ついでに、この観点で、(2)や(3)も見ておこうか。

小生は、日本社会のなかでは、これらに、イノベーションを生み出す効果を期待すべきでないと思う。その理由は単純。
(2)は新市場を生み出す可能性はあるが、それは既存市場の一部代替以上にはならないのでは。執筆者の考え方が変わる訳ではなく、従来からの人達が装いを変えるにすぎないからだ。画期的な発想が生まれることは考えにくい。それだけのこと。
(3)は、社会的なつながりを生むという点では、理想論としては面白いが、日本の場合は変化を抑制しかねず、イノベーション創出どころではないのでは。現実を直視すべきだと思う。日本では、優秀と思われる人や、異端児をリスクを容認して登用することは稀。そんな社会でインターネットを活用したコネクションを作ったところで、既存の閉鎖的コミュニティの維持に寄与するか、新しいより狭いコミュニティが生まれるだけでは。
しかも、匿名の人達のコミュニティが主流であり、これは裏社会好き風土そのもの。
見かけとは異なり、総体的には、保守的風土が衣を変えて強化される結果になりそう。
もちろん、そんな流れに抗して、まともな議論ができるコミュニティ作りも進む訳だが、風土を変えるには、余りに力不足。

今や、中味が薄いだけでなく狭い視野での自分勝手な主張だけの本の洪水状態。悪本が良本を駆逐しつつある状況と言ってよいだろう。これを変えるには、(1)から始めるしかなかろう。それが、さっぱり進まないのだから、残念ながらどうにもならない。


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