■■■■■ 2011.9.27 ■■■■■

 反「成果主義」にはご用心

「成果主義」導入は、日本社会では上手くいかないとか、日本流の人の育成にはからきし役に立たないといった意見を時々みかける。
こまったもの。

そう思うのは、日本的経営こそ「成果主義」だったと見ているから。1990年代以降の欧米流「成果主義」とは、この秘訣を見抜いたものと見ているからでもある。
そう言うとびっくりする人がいる。年功序列制度なのに、それを「成果主義」と呼ぶから、詭弁に聞こえるらしい。
まあ、日本企業のなかで、組織や役職の壁を越え、人事的利害に関係なく様々なことを教えてもらった体験でもないと、いくら説明されても実感が湧かないから、やむを得ない面はある。

だが、反「成果主義」的な単純なものの見方をしていると、本質を見誤る恐れがあるので、くれぐれもご用心のほど。
ただ、「成果主義」導入が逆効果を生み出したとの指摘が当たっている場合も少なくないから、悩ましいところ。

おわかりになると思うが、海外事業を強化する必要に迫られれば、日本社会でしか通用しない曖昧な仕組みを続ける訳にはいかない。とりあえず、海外で一般的に通用している、成果と報酬を単純連動させる古典的モチベーションの仕組みを丸ごと取り入れることになるだろう。ノウハウがなければ致し方あるまい。
しかし、それと現代の「成果主義」的人事体系を重ね合わせるのはいかにもまずい。根本的に違うものと考えるべきでは。

現代の「成果主義」の肝は、それぞれの人の力を、組織的に十二分に引き出すこと。従って、さらに成果をあげるにはどうしたらよいかを、仕事の結果を見て検討することこそが、その仕組みの中心。
言うまでもないが、成果の尺度を設定するには、組織としての課題を明確にする必要がある。そして、力が発揮できるかは、個人の技量や意向に大きく左右されるから、その観点からの点検も不可欠。その上で、組織としてのベクトルを合わせ、総体として巨大な力が出るように人事的采配を振るうことになる。これが「成果主義」の基本。
当然ながら、年功序列は崩れざるを得ない。

しかし、年功序列にもかかわらず、実質的な仕事量とその質は、年齢や役職とは無縁だったのが日本企業の特徴だった。お陰で、「できる人」には 山のように仕事がふってきたもの。しかも、役職は下でも、実質的に上層部を動かす力を持っている人が、そこここに存在していたのである。
実際、組織図から見れば、ラインから外れた「閑職」の方としか思えないにもかかわらず、それこそ門前市をなすような状態という例も。組織にとって、かけがえの無い人材は、誰の目にもあきらかだった。風通しがよい組織だったからこそ、年功序列でも実質的には「成果主義」な実力志向の人事采配になっていたのである。

従って、こうした実態に合うように組織体系を変革し、その動きをより円滑にすべく賃金制度を考案していこうというのが「成果主義」への流れ。 権限と責任の明確化が要求される時代に、この流れを押し留めればどうなるかは自明。しかし、それが嬉しい人は少なくないのが実情。
しかも、若い人が多いというから驚き。この組織なら、茶坊主業でお気楽に食べていけるとふんでいるからかも。


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