ついこの間迄、暦では秋なのに、まるで真夏の気候。そんなこともあってか、東京には久方ぶりの台風到来。山間部では、ずっと見かけなかった集中豪雨。
これからは、毎年、こんな調子が続くのだろうか。
そう感じる人は少なくないようだ。そのうち夏休み延長しかないナ、といった囁きさえ耳にした。これが、まんざら冗談とも言いかねるから、たまらぬ。
まあ、人類史を眺めれば、気候大変動は珍しいものではない。突然にして旱魃が何年も続いたり、たびたび大洪水が発生したとの事象にはことかかない。それが原因で滅びてしまった都市など、歴史書の頁をめくれば、いくらでも見つけることができよう。
何世代にも渡って栄えてきた土地だろうが、気候大変動には対処のすべは無いから、住みづらくなったら新天地を求めて移動するしかない。
現代だろうが、その掟が無くなることはありえない。
北極圏の氷が解け、グリーンランドに緑が戻れば、そこでは農業が始まる。砂漠にも、モンスーンが流れ込み、緑が戻って古代文明発祥の地が再興される可能性もある。
どこまで本当かわからぬが、そんな兆候がすでに見られているとか。
当然ながら、その逆に、農業非適地と化す地域が大量に発生することになる。堤防でなんとか切り抜けてきた海抜ゼロメートル地帯も、水没を避けるのは難しくなるから、捨てることになるかも。海流も変化するだろうから、温暖な地域が寒冷地化することもありそうで、とても住めたものではなくなるかも。
気候大変動は大規模移住を引き起こすことになる。
だが、それは単なる移住で片付く問題ではない。
とてつもない大変動ということは、従来の気候パターンが一変する訳で、徐々に変化して新たな安定状況に落ち着くというシナリオはおよそ考えにくい。一挙に、不安的化すると考えるのが自然だ。日々、熾烈な気象変化に襲われるということになる。住民は、空を見上げて今日の天気はどうなるかと不安な日々をすごすことになるだろう。
場所によっては、考えられなかったような強烈な日射とそれに伴う熾烈な旱魃に見舞われよう。集中的な大豪雨が連続して発生したりする地域もでてこよう。
当然ながら、そんな状態を予想したインフラではないから、全く対応できない。年中、どこかで大災害だ。
特に気にかかるのが、ツンドラ溶解。そこから発生する気体量が増えれば、新たな巨大オゾンホールが生まれる。農耕地域に紫外線が降り注ぐ可能性もありそう。そうなると、イネの生育は難しくなろう。
ともあれ、幸運にもそうならなくても、気候が大きく変わるから、今までの農業方式がそのまま適応可能かはよくわからない。
変動に対応できなければ、世界は食糧難に陥る。生死がかかわるから、戦乱勃発しか道は残っていまい。
以上、恣意的な悲観的シナリオを描いている訳ではない。素直に考えればそうなるというだけ。
そんなことがわかっている状況にもかかわらず、なにがなんでも原子力発電を廃止したいという動きが始まっている。これは、気候大変動へと大きく一歩踏み出すのと同義。この先、異常気象が益々増えることになる。おまけに、質の悪い重油・石炭が大量に燃焼されることになるから、空気汚染の悪化はすさまじいものとなろう。その結果、人類はどんな疾病に襲われることになるのかはわからぬが、苦難の時代到来は間違いないところ。
文化的現代生活を否定し、食うや食わずの原始的な生活こそがヒトの道と考える方々にとっては、それでかまわぬということなのかも知れぬが、そのような信仰とは無縁の人間にとってはたまったものではない。しかし、どうも、こうした原理主義者を支持する人だらけの社会になりつつあるようだ。
(ref.) Stefan Therl: "The Upside to Global Warming" Newsweek, Aug 26, 2011