■■■■■ 2011.10.18 ■■■■■

 「やらせ」摘発弁護士の手腕には正直驚いた

弁護士といっても職域は広く、それぞれ○○弁と呼ばれ、仕事は全く違うとその業界の人からうかがったことがある。
久方ぶりにお会いした方から、離婚調停を得意としているから、御用の節には是非にと挨拶されてビックリしたことがあるが、小生にとって、一番印象が強かった弁護士と言えば、オウム真理教裁判でニュースに登場した方。その独特な風貌と言い回しには仰天。職域毎にスタイルは大きく違うことを妙に納得した覚えがある。
だが、小生が抱く標準的なイメージとしては、キビキビと実務的に処理する管財人の方である。できる限りお付き合いはしたくはないが、イメージ的には大企業の経理部門のやり手とダブル。これが、会社更生担当となると、平均的な企業経営者よりずっと優秀そうで驚かされる。どこで組織運営のスキルを学ぶのか聞いてみたい感じがする。
この辺りはいかにも弁護士業の範疇だが、最近は弁護士資格アリがウリのタレントさんも少なくなさそう。まあ、多士済々のプロフェッショナルの業界のようだ。

そんななかで、「九州電力やらせメール事件」の第三者委員会委員長をされた郷原信郎弁護士とはどんな職域の方なのだろう。
小生は、大いに気になってしまった。
と言うのは、九州電力の経営幹部による人選の筈なのに、それこそ卓袱台返しのような報告書を提出した方だからだ。

人によって見方は違うかも知れぬが、小生は、「やらせ」は、原発に限らず、そこいらじゅうで当たり前のように行われていると見ている。様々な意見陳述や丁々発止の議論が行われた結果、素晴らしい政策が生まるなど、日本では例外中の例外と思うからだ。シナリオ無しの議論を始めると、たいていは収拾がつかなくなるもの。それが日本の組織が持つ体質と言えまいか。
政策策定に伴うイベントとは、事実上「決定済」の政策を、スムースに承認させるための儀式ということ。その場で激論になったところで、大筋変更は稀。普通、そのような事象を「ガス抜き」と呼ぶのが慣わし。しかも、反対派と周到な打ち合わせ済みで、激論が交わされることさえある。その場合、「落とし所」なる政策微調整の合意がすでに形成されているのが普通。
そんな習慣はもう止めようと口では言うものの、論点を整理して議論をしているのを見たことはない。これで合意形成ができる訳がないから、従来からのやり方を踏襲する以外に手はあるまい。

ただ、電力会社の経営風土は、一般企業から見ても相当特殊で、付き合うのが骨と、昔から言われてきた。従って、一般常識からかけ離れた「やらせ」が行われたとしても、誰も驚くまい。

それはともかく、政策の大筋が決まれば、政治家は、関係する企業に対し、地ならし作業をするようにと「示唆」するもの。もちろん、ゴタついたら、責任を取るのは企業側という不文律が前提とされる。
政治家の言い分も一理あるとされてきたのである。ポピュリズムを排して、不人気でもやらねばならぬ政策はある。そうした政策を進めるためには、ある程度はこうした活動は不可欠との理屈。ただ、実態は、既得権益擁護の内々の動きだらけなのだろうが。

郷原弁護士は、この仕組みを糾弾したようである。正論だが、大いに驚いた。

話が長くなったが、と言うことで、履歴を拝見すると、大学卒業後にどうしても検察の仕事に就きたくなり、検事を目指したようである。その後は、プロフェッショナルとして全精力を注ぎ込んで来たのだろう。(理学部卒業後、企業に1年間在籍。結局、司法試験を受験して、1983年に検事任官。退官は2006年。)

民主党から第20回参議院議員通常選挙への立候補を要請されたそうだが、その言動から拝察するに、綱領もない無原則な政治こそ一番嫌っている方に映るがどうだったのだろうか。
しかも、民主党が抱えている反権力勢力とは水と油かも。
検察批判をしているが、それは、ともかく起訴に持ち込もうといった強引な方法論横行への警鐘を鳴らしているだけでは。稚拙で手抜き仕事が多すぎると指摘しているだけに見えるが。

証拠改ざんの特捜検事事件についても、証拠隠滅罪ではなく、特別公務員職権濫用罪で裁かれるべきとの主張だが、原則論で行けば正にその通りだろう。又、小沢一郎元民主党代表に対する特捜部の捜査方法も稚拙以前と断じたようだ。どういう論旨かわからないが、想像するに、伝統的な金権政治を糾すのに、小手先の戦術で起訴に持ち込もうとするのは恥ずかしい限りといった論調なのでは。

小生は、正攻法では上手くいかないから、胡散臭い無理な捜査を敢えて行い、起訴に持ち込もうとしたと見ている。金権政治臭紛々だから、ここぞチャンスと感じ、「思い込み」で立件に持ち込もうとやっきになったのだろう。証拠が見つからなかったり、勘が外れれば最悪。全くの間違いだったりしかねない訳だ。しかし、担当検事は自己と組織保全のために、そうだとしても、それを認めない。
この風土を変革するのは難しそう。下手にやれば、政治的腐敗を暴く力を失いかねないからだ。しかし、それを百も承知で、こうした現状を見ると、「恥ずかしく惨めな思い」に陥らざるを得ぬというのだ。筋金入りのプロである。

最近は、マスコミと一緒になって、上手く世間を泳ぐだけの人だらけで、こういう方をめっきりみかけなくなった。まさしく、久方ぶり。

素人からすれば、プロとしての矜持を感じさせる姿勢そのものだが、社会変革の実践性から見ると、どんなもんだろう。なんとなく、理想論すぎるように聞こえるからである。
日本はどう見てもご都合主義的な法律遵守社会だ。共通理念のもとに社会を運営する感覚は皆無だから、そうならざるを得ないのだと思う。問題多き社会であるのはその通りだが、そう簡単に変えることはできまい。それが現実。
原理原則を貫けという主張はわかり易いし、思わず賛成したくなるが、躊躇せざるを得ないこともある。これを利用して、企業とは悪の権化にほかならぬという思想を広げようと動く人達が集まってきたりするからである。

(ref.)
「一番知っているのは知事…九電第三者委元委員長」 2011年10月18日07時21分 読売新聞


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