■■■■■ 2011.10.21 ■■■■■

 高齢者問題はもうどうにもならないということか

年金支給開始年齢を引き上げる動きが始まっているという。
ほとんどの人は傍観者的態度で眺めているだけ。それしかできないのだから致し方ない。

従って、政治屋さん達はここぞとばかりと動き回る。しかし、はっきり言って、今更、真面目に議論するような問題ではない。なんなりと、勝手にやったらと言うのが一番。
もともと、この国の年金方式は一種のネズミ講。後から加入する人が先に加入した人に貢という仕組み。新規加入者が減少一途なのはわか
っていても、経済成長するからかまわぬというトンデモ理論で運営されてきた代物。
今や、年金受け取り者数激増状態なのだから、破綻は時間の問題でしかなく、支払い抑制の手立ての議論など、朝三暮四的な工夫以外のなにも
のでもなく、時間の無駄だ。

おそらく、とりあえず、支給開始年齢を68才に変更するのだろう。男性の場合、この年齢からだと天に召されるまで約10年。そのために、40年間積み立てをさせられる訳だ。これを払わないのは違法行為だが、処罰を課すのは現実的に難しいから、知らん顔で済ます人は少なくなさそう。支払いデータの定義が胡散臭いので、公表数字からでは実態はわからないが、未払いは一部という状況ではないようだ。
普通に考えれば、ここまで来てしまうと、清算してゼロベースで考え直すしか建て直しは無理である。そうしないと事態は悪化する一方だからだ。膿がさらに溜まれば手がつけられなくなるだけ。
しかし、皆、頬かむり状況。

まあ、基礎年金部分は政治的な体面もあるだろうから、お茶を濁すとしても、厚生年金や共済年季は早く清算すべきである。すべての資産を、各加入者が好む年金基金に振り分けて運用する仕組みに再編するしかなかろう。言うまでもないが、その上に乗る企業年金制度も廃止。清算を先送りしたところで、ほとんどの企業は、この先、巨額な積立不足金を埋めるどころではなかろう。
頭を使って工夫すべきは、この清算スキーム。ギリシア国債デフォルト対応と同じようなもの。

なにを言いたいのかおわかりだろうか。関係者が実態を直視し動かないと、もう後がないゾということ。
政治家と一緒になって議論したところで、出てくる施策は、年金支給開始年齢を引き上げや、徴収額引き上げ、補填財源確保のための増税・国債発酵ミックス以上ではない。どんなものでも、はっきり言ってなんの解決にもつながらない代物。今後の安定運用を保証できるようなものでなく、当座の対処療法でしかないからだ。しかも副作用も小さなものではない。高齢層が働く必要に迫られれば、若年層雇用減少を招く。手取り収入減となれば、個人消費抑制も間違いないところ。経済が上向きになる要因は何一つない。

それでも、当座しのぎだけでもという人もいそう。だが、もうその時期はとうにすぎた。高齢者問題はどうにもならない状態だからだ。

その感覚がわから無いなら、東京外延の人口稠密地域を調べるとよい。ここでは今後年金生活者の数が急増する。そのうち重篤な疾病患者激増。ところが、患者数急増に対応できるキャパシティを欠いたまま。救急車来れども、行く先無し事態に陥る可能性大である。こればかりは無い袖は振れない。
命を守るには、重要なところに重点的にお金を回すしかないが、これが今もってできないのである。言うまでもないが、軽度医療用ベッドは過剰にもかかわらず、その削減は遅々とした動き。
ご存知のように、今の仕組みのままでは、どの健康保険組合も赤字運営から逃れられない。高齢層患者数が急増し、治療費用は鰻登りになるのは皆わかっている。にもかかわらず、手をこまねいているだけ。

そうそう、介護も、そのうちどうにもならなくなる。こちらはカネの問題以前に、サービス提供キャパシティ不足で問題が表面化するだろう。介護職員のなり手がいないためだ。海外労働力導入を解禁する気がないから、この分野だけの例外的認可を試みたところで上手くいく筈がないのである。それこそ、職業選択の自由を認めず、失業者を強制的に介護要員として投入するか、徴兵制ならぬ、徴介護要員制度を敷くしか、解決の道はなかろう。介護の手が届かない高齢者だらけの、悲惨な社会になっていくのかも。発展途上国に巨大な介護施設をつくり、そこでのケアという要介護者移民策も登場しそうだが、そんな動きは税金で食っている人達が団結して一発で阻止するだろう。


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