■■■■■ 2011.12.1 ■■■■■

  T.P.やO.W.J.の底流を考えてみた

大統領選挙年に突入間近な米国で、政治への不満が高まりつつあるようだ。社会が大きく変わりつつあるのに、政治はそれに対応していないと感じる人達が急増しているのだろう。中間選挙でのT.P.や最近のO.W.J.運動の発生はその典型例。
こうなると、誰が大統領になるかより、米国社会が今後どう変わるのか考えることの方が重要なのでは。

ところが、この点ではマスコミの解説は今一歩。おしなべて、超富裕層への富の偏りが酷すぎるという点を強調。それが間違いとは思わないが、どうもピンとこない。なにせ、もともと貧富の格差が激しい国だからだ。しかも、それを誇る風土が定着している。Steve Jobsのように、能力があれば富者になれる社会であるからこそのU.S.A.という訳。
成功のチャンスは誰にでもある。そのことこそが、社会発展の原動力との信念は揺るいではいないのでは。

そのため、アメリカン・ドリームが風前の灯火になっているとの話になってしまう。つまり、貧者にも、名目上は機会があることになっているが、実際のところほとんどチャンスは巡って来ないとの指摘がなされる。
実にわかり易い理屈。確かに、実態はその通りかも知れぬが、こんな見方をしていると、米国の社会変化を見誤るのではなかろうか。そう思うのは、昔から、こうした状況はあったからだ。富裕層の子供と比べれば、貧困層の子供のハンディキャップは以下の観点でとてつもなく大きかった筈。
・スキル習得に必要な「オカネ」を欠く。
・チャンス発見の糸口たる「コネ」が周囲には見当たらない。
・社会上層でのお付き合いに不可欠なルールや「慣習」が身についていない。

実際にこれらの問題がとてつもない高い壁になってしまったとしたら、それは何故か考える必要があろう。

その場合、見ておくべきは、富裕層に新しい人々が入っているかだ。統計は無いが、ベンチャー成功話には未だに事欠かないし、プロフェッショナルでの大成功物語も耳にするから、そこだけ見ればアメリカン・ドリーム的現象は消えたという訳ではないとも言えそう。しかし、人々はそう思ってはいないのである。 このことは、上層に入り込もうとする人を叩き落とす動きが見られるということではないのか。

そんなことが気になるのは、寄付活動に熱心とは思えない成功者もいそうだから。チャンスに恵まれない人達を支援するとの米国文化は変質しつつあるのでは。その昔、Uppermiddleの生活感を揶揄したような"The Class"という本を読んだが、上昇志向を楽しむ社会の底流となっているこうした文化の誇りを感じさせられたもの。それが消えつつあるのでは。

言い換えれば、上層の人々がそこからの転落を恐れ始めたと言うこと。自らの地位を危うくする動きを押さえ込もうと動いているのでは。お金儲けの仕組みが変わりつつあり、上層の新陳代謝が活発化してきたので、従来型富裕層は危機感を覚えているとはは言えまいか。そうなれば、勃興層を抑えにかかることになるのは見えている。
簡単に言えば、既得権益層の保守化。米国経済の強さでもあった革新の流れが抑制され始めたということ。

これぞまさしくJapanification。

(ref.)
Robert Frank: "The High-Beta Rich: How the Manic Wealthy Will Take Us to the Next Boom, Bubble, and Bust" 2011/11 [CD]
Robert Frank: "Richistan: A Journey Through the American Wealth Boom and the Lives of the New Rich" 2007 - 飯岡美紀(訳): 「ザ・ニューリッチ―アメリカ新富裕層の知られざる実態」 ダイヤモンド社 2007
Erich Segal: "The Class" 1986 - 田辺亜木(訳):「クラス」、扶桑社  1994
E.シーガルは「ラブ・ストーリィ」原作者として有名
たまたま見つけた分かり易い論文---
塙明子(抄訳):「アメリカにおける貧困の検討(Elizabeth A. Segal報告の要約)」 北大教育福祉研究 2004 http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/28371/1/10(1)_P57-62.pdf


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