共和党の大統領候補者討論会は泥仕合の様相。こう言ってはなんだが、サッカー選手のぶつかり合いの如きもので、ルールを守っているのか否かよくわからず。そこがなかなか面白いと言うと顰蹙ものか。確かに、議論の質は低いのだが、逆に、それが世界の流れを感じさせるので、それなりに考えさせられたりするもの。その点では結構目がはなせない。
日本でも、首相と野党党首の国会論戦があったばかり。案の定、下らないやり取りに終始した。財源不足の状態で、壮大なバラマキ政党のマニュフェストがまともに実行できる筈もなく、増税で少しでもなんとかするというのは自然な流れ。それに対して、少しレベルを抑えたバラマキ政党が増税という約束違反と、大バラマキの問題点を突くという論戦なのだから、つまらぬ話にしかならないのは致し方ない。だが、両者ともに、何を考え、何をしたいのかさっぱりわからないのだから、論戦を聞いたところで時間の無駄でしかない。どちらも有能で真面目な調整型政治家らしいから当然の結果だが、時代に合わなくなってはいまいか。
それにしても、ギングリッジ候補の活躍には目を見張るものがある。
ご存知のように、2011年秋迄、その評価は最低。まるで泡沫扱いで、支持率は地を這う状態。寸足らず候補だらけだが、あの人だけはこまるぜ的コメントが横行していた位だったのである。しかも、そんな批評が消えた訳ではない。「レーガン時代の過去の人」とか、「スキャンダルまみれの最悪候補」とのイメージを払拭したとは言い難いのだ。従って、現職大統領に勝てる見込みが薄いとされる。そんな候補の躍進ぶりに、共和党主流の政治家達は頭を抱えているとか。
まあ、なんといっても驚きは、フロリダ州で善戦中との報道。選挙資金も少ないらしいし、ギングリッジ型政治を好むタイプが多い州でもなさそうなのに。
このことは、人々の見方が劇的に変わりつつあるということかも。
もし、そうだとすればどういうことか、少し考えてみた。言うまでもないが、素人の仮説であるからそのつもりでお読み頂きたい。・・・
(1) 選挙資金の多寡で勝負がつかないかも。
表面的には、従来以上の中傷合戦が行われているように映る。今迄の常識からすれば、そんな戦いで勝利するためには、多額の広告費用がかかる。選挙資金が潤沢な候補でなければ、敗退止む無しの世界の筈。どうも、それが通用しなくなってしまったようである。ギングリッジ候補の作戦が当たった訳だ。
テレビを通じた大宣伝と、マスコミの徹底した批判は、悪辣な候補者潰しとの主張が受け入れられたのでは。
もしそうなら、中傷合戦が盛んになればなるほど、支持率への影響は限定的にならざるを得ない。選挙資金を湯水の如く宣伝に流し込んでも効果は薄いことになる。まともな政策論争にもならない訳だから、候補者のイデオロギー的なイメージで決着がつくのではないか。
(2) 金融業界叩きが始まりそう。
共和党亜流でしかないティーパーティや、民主党左派とでもいえそうなOWS運動は、金融業界に対する怒りが根底にありそう。怒りが強かったせいで、両者ともに話題にはなったが、何一つ新しい政策的潮流を生み出せずに終焉してしまった。つまり、ガス抜き運動ということになる。と言うことは、不満が溜まっている訳で、大衆運動をおこしたいなら、ココをつけばよいのは自明。投資失敗のツケを一般の人々に負わせ、政府の支援で巨大な利益を得ている金融業界の不当さを訴求すれば票は集まる。
但し、これは共和党的なイデオロギーとは本来水と油のような主張。ギングリッジ候補は、あえてそこに踏み込んだのでは。
現職大統領の高所得者増税提案はそんな流れで眺めると、再選を危うくしかねない賭け。リーマンショックで結局のところ甘い汁を吸ったのは金融業界という話が持ち上がってくると厄介である。そんなことを許すような政治家は大統領にふさわしくないというムードが蔓延すれば致命傷だ。
金融業界と近しいイメージの候補者は泥仕合ではハンディを負っているということ。
(3) マネジメント巧者にリーダー役を任せたくない風潮もありそう。
映画俳優出身のレーガン大統領の時代を彷彿させる討論姿勢が好感を呼んだ可能性を感じてしまう。ギングリッジ候補が「過去の人」だからこそ人気がでたのかも。但し、米国が指導力を発揮していた時代の回顧というより、現大統領の不甲斐なさの裏返し。
マネジメントのスキルより、信念あってこその大統領と考え始めたのでは。ユーロ危機に対して、米国大統領がなんの指導力も発揮できなかったのは、その辺りに問題があると感じてもおかしくないからだ。欧州問題が米国経済に大きな影響を与えているにもかかわらず、余りになさけないとの感覚。しかも、冷戦勝利に導いたレーガン政策の成果も失われつつある。なにせ、ハンガリーが独裁国化したのである。これでは元の木阿弥だから、共和党支持者には不快そのもの。
ソ連と戦ったハンガリー動乱や、ベルリンの壁崩壊の引き金となったハンガリー・オーストリア間の障壁撤廃は、遠い過去の話ではないからだ。
要するに、現職大統領と戦う候補は信念の人であって欲しいのでは。それこそが米国経済復活の鍵と考え始めたとは言えまいか。
イランを含めイスラム原理主義者に対するより断固たる姿勢を待望していそうな感じもするし。
(4) アンチ社会主義のイデオロギー闘争が生まれているということか。
上記を書いていて、ふと気付いた。今回の大統領選挙は雇用増出の経済政策での競い合いではなく、イデオロギーのぶつかり合いになるのかも。ひょっとすると、「経済ではないよ、お馬鹿さん」の可能性もありそう。米国民は、グローバル経済化してしまったのは日々の生活で実感している筈だし、そのなかで米国大統領が指導的立場を失っていそうだと感じ取っているに違いない。換言すれば、国内的な経済施策や、小手先の外交手段での経済好転は期待できそうにないということ。民主党の底流となっているイデオロギーではどうにもならないとの感覚が強まってきたのでは。
簡単に言えば、「消費者かつ資本家的見地からの政治」v.s.「労働者かつ市民的見地からの政治」の対立か。コレ、日本には無い対立構造。日本の場合、自民党は「生涯同一業務遂行者かつ土着民的見地からの政治」だから、後者の政党に近い。揶揄しているのではなく、実態がそのものズバリ。規制や補助金による既存組織維持と、その成員の生活を護ることに重点を置いているのは明らかだからだ。資本コスト割れの事業を賛美し、勤労者の貯蓄を国債に投資させる政策をとり続けている訳で、社会主義的政策そのもの。
米国は、ダイナミックな社会であることを誇る国。喜ぶ顧客がいる事業を興せば収益率も高くなる筈と考える。そんな投資が次々と生まれることで社会が発展していくというのが基本テーゼ。共和党支持者は、この絶対支持者と言ってよいのでは。グローバル経済の下でこれを否定しかねない道を選んだりすれば、米国は自滅の道を歩むことになると考えておかしくあるまい。
(当サイト過去記載)
2012.1.23 米国大統領選に関するニュースの読み方
2011.11.29 ズブの素人の本命予測はGingrich