■■■■■ 2012.2.1 ■■■■■

 年寄り考+

バイオ学者の方の「年寄り考」(2012年 01月 30日)を読んだ。

「年寄りというか65才以上の人々が考えをあらためれば日本の未来は暗いどころか、明るい」というもの。
こういうのはイイネ。
All Japanで考え、皆で力をあわせれば、道は開けるとかいう、願望調と正反対なので気持ちが晴れ晴れとする。

「日本の若い人たちが考えを根本的に変える前に年寄りが先に根本的に考えを変えないといけない、」・・・「すくなくとも70才までは年金は一円ももらえなくてもしかたない、という心構えにかえる。」そして、「自分のことは自分でやる、お金も国の金を当てにしない年寄りが著しく増えることが望ましい。」

その通り。

小生は、その第一歩は、延命治療の廃止からではないかと思う。これができるかどうかが別れ道。

昔、ちょくちょく見ていた物理学者の日記は。末期癌のなか最後まで科学技術政策についての話題が続いた。これを眺めて、壮絶と言う人もいるらしいが、小生はそんな感慨は覚えない。宗教観にもよるだろうが。
気付かない人が少なくないようだが、淡々と人生の最後まで生きていく人は少なくないのである。
何回か触れたが、小生の脳裏に深く刻まれているのは、ある脳外科医の方の最期。お会いせねばと思っていたら、突然、ご逝去されてしまったのである。末期癌であることを患者さんに漏らすことなく、文字通りギリギリまで、体力気力を振り絞って脳手術を執刀されていたのである。

要するに、最期の数日を除けば、末期癌だろうが、意志の力がありさえすれば、入院しなくても過ごせるのである。1年余り、外からは一見通常に映る生活を過ごし、3ヶ月ほどは痛みをコントロールしながら生き抜くことになる。要するに、癌と共に生きる訳である。

こういう方々が、この先も、ほんの一部に留まってしまうと、明るい社会への道は閉ざされてしまうのでは。
それこそ、入院ベッド争いが始まり、コネ社会独特の嫌らしい動きがさらに深まる。
現状を眺めると、そうなる可能性は高そう。
なにせ、救急車をタクシー代わりに使用したり、治癒見込み無しの病気でも無為に通院するは、軽度な疾病にもかかわらず社交のために通院を重ねる、といった例にはことかかないからだ。そして、こうした事例を指摘したりすると、弱いもの苛めする不届きな輩として徹底的に叩かれる。お蔭で、実態はさっぱりわからない。

そうそう、ついでながら、小生は、日本の超長期的予測で、65才以上が40%の総人口5,000万人以下状況といった類のものは、信用していない。人口はもっと多く、さらなる老人だらけ社会になると見ているからである。
もちろん、それは技術的進歩。
癌細胞を物理的に叩けば、延命年数が格段に伸びる筈。個人別健康モニター機器の利用が進めば生活習慣病の高リスクファクター者の重篤疾病発症は劇的に減るのも間違いあるまい。ただ、その実現までには相当な時間がかかるが。
このことは、医療のスタイルが変わることを意味する。専門家に病気を治してもらうのではなく、個々人が自己責任で、専門家の助力を得て、病気と共に長く生きる方向に進むということ。特殊な環境が必要な病人を除けば、長期入院など有り得なくなろう。
これが進めば、発症確率ベースの従来予測を大きく越える平均寿命上昇をもたらすのでは。免疫能力が高い人なら、確実に100歳を越えてくると思う。

そんな時代の年齢人口構成が、逆ピラミッドではなく、直方体に近いなら、年齢的多様性が生まれるから、結構、明るい社会になるのではなかろうか。
ただ、日本人が、それに対応した住みやすい多様な社会をつくれるかは、なんとも言い難い。皆で同じことをやりたがり、一律的な扱いを要求するようなら、多様な社会は成り立たたなくなるからだ。

(当サイト過去記載)
深刻化する死(亡率低下問題 (2005.3.8)
予め考えておくべきこと (2007.4.11)
「The Fourth Three-Months」の話 (2008.8.28)
高齢者の話 (2009.9.20)


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