本屋で「老いて、若返る」を立ち見。立ち読みではない。
文章の方には全く興味なしだから。
眺めたのは、冒頭の堀文子画のページだけ。見慣れたモチーフが10枚弱。いかんせん画像が小さい。気分が乗らないが、本のタイトルに合わせた掲載画選択なのだろうから、何を選んだか気になるところ。
頭からの見開き3枚は、
最近の作品である、「鶴が渡る、ヒマラヤを越えて。」、1988年の「冬野の詩」と1950年代の「猫」。
代表作「月と猫」の代わりか。
それらを見てふと思ったこと。
香月泰男が描く鳥を思い出してしまった。・・・モノクロ調のシベリア凍土の世界で羽ばたく隼。収容所での鎖生活を自力で脱出していったのである。イメージがダブったのは、鶴のヒマラヤ越えというテーマではなく、「猫」の描き様。鳥をくわえ、こちらをじっと見詰める猫の眼は、灰色の脳細胞を思わせる。そして、その背景は日本画らしさを示すモノトーン色。これが、小生の頭のなかで、どういう訳か、シベリアの色と重なってしまったのである。
そうそう、「冬野の詩」は、一面の雪景色に一筋の川の世界。しかし、そこには様々な野の植物が生きているし、狐も徘徊する。これを風景画と呼んでよいのかよくわからん。何時朽ち果てるかわからず、淡々と今を生きる者達を描いた絵画とは言えまいか。
それは、ピーター・ブリューゲル「雪中の狩人」のようなもの。もちろん、両者の間には深い溝があるが、だからこその独特な風景描写になっているとも言えそう。両者ともに、見事な思想画になっている訳だ。
だからこそ、画家は、日々、描き続けるのかも。思想活動なかりせば、生きていく気力を喪失してしまうのだろう。
(当サイト過去記載)
ヒットしそうな日本画(20040611)
(とりあげた書籍)
日野原重明 堀文子:「老いて、若返る」 小学館 2011年