NHKが、“東京の老舗出版社「岩波書店」が定期採用の応募資格について、「岩波書店の著者や社員の紹介があること」と明記し、いわゆる「コネ」を条件にしていることが分かりました”と報道し、しばらく話題になっていたようである。
まあ、日本はコネ社会であり、驚きではないが、わざわざそれを明記するのだから大笑い。騒がしかったようだから、色々と議論がされたのだろうが、全く読んでいない。この手の議論はどうせ不毛なまま終わると見ていたから。現実には、どう推移したのか知らないから、小生の言い草が当たっていなかったらご容赦のほど。
ということで、先ずは、基本認識から。
「岩波書店」をリベラル勢力の一角を担っていると思うから議論になるのである。というか、日本でリベラルとされている層の主張は、「常識的」には保守そのもの。
例えば、保守なら、警察官や教諭に、どこの馬の骨かわからぬ輩を入れるなどもってのほかとなる。リベラルとは、これを心底嫌うのである。しかし、得体の知れぬ人が入ってはこまる。そこが思案のしどころ。
従って、学業、地域活動、前職、友人等からのリファレンスをもって判断すべしとし、コネは絶対に認めない。しかし、現実には、どのような立場の人から、どのようなレターをもらうべきかアドバイスしたりする。注意すべきは、この行動は、コネを認めている訳ではない点。日本の自称リベラル層の大半はこれを説明しても理解できない。
このセンスは日本独特かも。
昔、書いた覚えがあるが、アニメフェアで問題視された作品排除紛争も実に面白かった。米国のコミック業界人が見たら、たじろぐような代物だらけ。もしもそんな書籍を取り扱ったりすれば、すべてのビジネスが表の流通から排除されかねないからだ。そんな作品を正当化し、言論の自由を守れというのが日本のリベラル的発想。子供が手にとるところに、そんな作品は置かせないという常識に挑戦するのだから大した度胸である。米国でそれを堂々と主張してみて、どうなるか試されたらどうかな。もっとも、その手の道徳観を言い出したのが石原都知事だったから、単なる反石原センスとも言えないことはないが。
ついでながら、わかりやすい保守の例。
言葉は汚いし、マンガ読みで漢字の常識を欠落していたが、美麗な文字を書くから、伝統的な価値観を持っていそうな人の一言。・・・「金がないなら結婚はしないものだ。うかつにしない方がいい。」
コレ、まさしく保守の価値観なのでは。ところが、それはそれでかまわぬ、とはいかないのである。「お金が掛かるから結婚できず、少子化が進んでいる」ことが問題視されたからだ。おわかりになれるかわからぬが、コチラの考え方はアンチ保守でなく、プロ保守。保守どっぷりと言ってよかろう。
リベラル思想の持ち主にとっては、結婚と金の問題は何の関係もないのである。結婚決断は自由意志。好きになればなにがあろうが踏み切るもの。
その割に、自由意志を踏みにじる対象については黙認するというのが、日本のリベラル層の特徴である。
フランスで発生した、親の許婚と結婚しない娘を焼き殺したりする宗教は絶対に許せない訳である。従って、その宗教信仰を示すための服装が、強制的である可能性があれば、公共の場ではそれを禁止することにも吝かではない。日本のリベラルはこの動きを宗教弾圧とみなす。
オウム真理教にしても、驚いたことに、組織壊滅作戦は宗教弾圧であり許せぬと言う人がいる。自称リベラル。あの組織は、どうみてもクーデターによる政権奪取を夢見ていた訳で、大規模テロを断行したのだから法律的にも破防法適用対象団体であるのは間違いない。そのような組織とは断固として戦うのがリベラルの真髄。言論の自由を守るとはそういうこと。
この状況を見れば、確かに、破防法適用は避けた方がよさそう。真性リベラルがいないのだから、国家権力の強引な手段が使われると、歯止めが利かなくなる社会である。
結婚問題に戻ると、そもそも、リベラルにとっては、若者の結婚や少子化より、離婚の方に強い関心を持つのが普通。離婚できない宗教教義や、金の問題で自由意志が発揮できなかったり、暴力的に家に縛り付けられることからの解放こそが、リベラルの核心的な問題。自由に離婚できる社会を作ることが重要なのである。
これは保守とは全く異なる。日本のリベラル層の感覚は、結婚問題の扱いを見ているとリベラルと呼べるような感覚の持ち主ではなさそうである。
自殺問題に対する解釈になると、もうお話にならない。景気が悪くなって自殺者が増えてきたと、自称リベラル氏が語ったりするのである。しかも矛先は、景気を悪くする元凶だったり、貧困を知らない富裕層糾弾だったりする。政治的なレトリックならまだしも、本気でそう思って主張しているのだから手に負えない。
リベラル思想に染まっていたら、景気が良いほど自殺は増えるのではないの?とたずねるもの。おわかりだと思うが、自称リベラル氏達の活動は、精神的に強制されている自殺を止めさせようとしているとは思えないからだ。
リベラルなら、自殺保険金で周囲の人々に返金する人とか、家族の期待に応えるために生きることを余儀なくされている人を救いたくなるもの。個人の意思決定が尊重されない社会と戦う必要があるなとなる訳である。日本の自称リベラルはここら辺りには絶対に触れない。つまり、根は真性保守なのである。しかし、言辞だけリベラルの真似をして格好をつけたがるから、辻褄が合わなくなるのである。
(記事)
「岩波書店の“コネ採用”で調査へ」 NHK 2012年2月3日