小生はTwitterには参加していない。
格好をつけて理由を言うなら、生き急ぐ必要性を感じないから、となろう。
ただ、それだけではなく、知り合い以外でのコミュニケーションツールとしては、どうも好きになれないこともある。余りにも短文だからだ。
小生にとっては、短文が横行する社会は、恐怖政治の世界と同義。高校の英語教材として全編を読まされたAnimal Farmの世界を連想させるからである。・・・陳腐な決まり文句の連発、勝手な解釈を伴った「事実」情報、その割に冗長な言い回し、等々の表現スタイルが横行する世界だけはご勘弁である。
間違えてはこまるが、Twitterでのやり取りを見ての指摘ではない。ケータイメールの影響で「短文」好きが増えていそうなので、この傾向が続くのはヤダナということ。
と言うのは、短文でのコミュニケーションとは会話スタイルを意味するからだ。
それで意思疎通をはかろうと思ったら、感情移入を必要とする。ケータイのメールに絵文字が生まれるのは自然な話。しかし、これを知り合い間のメール以外にも使うのは考えもの。
家族間や親しい友人間を除けば、相手の表情や仕草なしには、短文では、言いたいことはそうそう伝わるものではないからだ。結局のところ、感情のぶつかり合いか、表面的な共感の喜びしか生まれまい。その手の薄いコミュニケーションだらけの社会にしてよいのだろうか。
短文では、物事を抽象化して、本質を探る議論はできないのだから。