■■■■■ 2012.2.24 ■■■■■

 科学者の危機感に違和感

理工学系学者が研究費配分について不平不満だらけなのは昔から。しかし、その問題指摘の質は?
日本のブログが、The Scientistに直近掲載された主張をとりあげていたので、ちょっと書いてみたくなった。

そのイタリアの研究者が書いた小文だが、正直のところ、内容はありきたりでは。・・・
ヨーロッパの研究費に応募し、審査の最終段階までは行ったが、結局通らず。 「良い研究者」だけれども「傑出した研究者」ではないからというのがその理由。

どの先進国でもカネが無い。できる限りテーマ数を減らし、一本当たりの予算が惨めなものにならないような厳選方針を採用するしかあるまい。 カネの出し手としては自然な態度。
しかし、言うまでもないが、このシステムがうまく機能している筈がない。文句が出て当たり前。だが問題は、その批判に応えるから、ますます非効率になっているのでは。

これではわかりにくいから、簡単に説明しておこうか。

恣意的な評価を避け、厳正審査せよ、との批判が強まれば申請書は厚くなる。利害がからまない無知な部外者を入れれば、質は落ちることの方が多い。申請の数も多いから、何段階かのスクリーニングになり、それだけのために、膨大な時間が潰される。審査者もたまったものではなかろう。しかも、インタラクティブでないから、テーマが磨かれることもない。実に不毛。

それと落選者は、必ずと言ってよいほど、瓢箪から駒的な話を例証にあげる。コレ、ほぼ50年前から変わらぬ主張。
従って、営利企業の技術開発は相当変わってきた。例えば、テーマ選定者の直観でいくつかの例外テーマを選んだりする。技術がヒトについてくるし、実際にやらなければ評価も難しいからまあ妥当なところ。もちろん、自由テーマを認める企業もあるが、期間内に成果がでなければ能力不足の烙印を押されるに等しいから、誰でもが挑戦したりすることはない。
こんなシステムを学者が取り入れることはまずあるまい。そもそも、審査者の恣意性で落とされるのは論外と批判するのだから。だいたいは、すべての研究室にバラ撒けとの自棄的な主張。

まあ、この手の話はここまで。
注目したのは、ここではないからである。

学生に研究参加を誘ったら、お金を稼げる見込み薄なのでご遠慮すると言われ、落ち込んだという点。

小生はビックリした。社会の現実を見据えていれば、ガッカリする訳がないと思うからだ。
今や、高学歴者が自動的に優遇される時代はとうに終わっている。カネを稼ぐために鵜の目鷹の目の人だらけの社会になって当たり前。
従って、学者の世界だけでなく、私企業の技術開発にしても、本気で何かしたい人を採用するために全力を尽くしている。世間的には地味で、稼げるものではなくても、事業には不可欠なテーマは少なくないからでもある。そのため成績優秀でも、そんな風土に合わない人の採用は極力避けるし、採用後に素晴らしい業績をあげても、自社の文化を潰しかねない人には退社をお勧めする時代。

こんな背景をわざわざ書いたのは、 研究状況に危機感を持っていたら、対応は違うと思うから。

本気で一緒に研究したい人を見抜ける力がないのだから、そのスキルをどう身につけるか。研究に一心不乱になれそうな人に、研究室が魅力的に映るためにはどうすべきか考えるのが先決なのでは。
もっとも、弟子育成など二義的と考えているなら別。

(当該ブログ) 「そこそこの科学者の叫び」 5号館のつぶやき | 2012-02-23
(上記の引用) U. Galderist: "Opinion: Good, But Not Good Enough" The Scientis Feb. 22, 2012


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