■■■■■ 2012.3.9 ■■■■■

 絵本を眺めて

しばらくぶりに、絵本を眺めた。
"Le sens de la vie"の翻訳版。(訳者はフランソワ・モーリアック研究者。サン=テグジュペリ著「星の王子さま」の新解釈版翻訳者として知られる。)

絵本の仕組みがよくわかった。

この本の一大特徴は、「愛苦しい」キャラクターが登場する絵と、よく練られた短い言葉。これが、絵によく映えるのである。
そのお陰で、つい情緒的に反応してしまう。哲学書とのふれ込みだが、深い思考へと導かれることはない。にもかかわらず、なんとなく自分の頭でじっくり考えている気分に陥ってしまう。

・・・という読後感を聞かされたところで、何を言っているのかわかる人はいまい。
アマゾンでは一部ページがそのまま閲覧できるから、一度、実感されたら如何かと。

ご覧になればおわかりのように、絵本だから、構成はシンプルそのもの。

「幸せとは何か? 生きる上で何が大切か?」
・・・という手の質問に対する、二択の答えが用意されているだけ。

要するに、
「あなたは? どう思いますか?」
・・・という訳。

単純に見えるが、コレ、実に周到に作られている。流石プロ中のプロの作品だけのことはある。

昔、暇にあかせて、カントから始まって、科学技術論系の矢鱈理屈っぽい書物を濫読した身には、この本のトリッキーな構成には舌を巻いた。
と言うか、単なる天邪鬼の心を揺さぶられたというところ。

一見、この文章、二択風。ところが、内実は、リンゴとオレンジの比較。本当は、どうにも選びようがないのである。
しかし、読者はそうは感じない。紅玉とレッドデリシャスのどちらが好きか、胸に手を置いて考えさせられてしまうのである。

これでは、何を言っているのか皆目わからないか。
例えば、こういうこと・・・。
以下の、(A)か(B)のどちらかを選ぶとしたら、簡単に答えることができるだろうか。両者は対立概念と見なせるものかネ。
 (A) 「他人との係わりが多い」のが好き。
 (B) 「他人に邪魔されない」のが好き。
(A)の反対概念は、「他人とは係わりたくない」、あるいは、「他人との係わりは限定的にしたい」なのではなかろうか。(B)は他人との「係わり方」の話で、次元が違うのではないかな。

もう一つあげよう。コレ、相反する二択といえるだろうか。
 (A) 「やりたいことにすべての時間を捧げる」のが嬉しい。
 (B) 「ものごとを考える余裕を持つことができる」のが嬉しい。
この場合は結構難しい。(B)の場合、「やりたいことが無い」のかも知れないからだ。そのためには、「やりたいことを見つける」ために、考える時間が必要となるのは当然と言えよう。さて、(A)だが、「やりたいこと」のためにどう動くべきかとか、それが本当に「やりたいこと」なのか考える時間も割けない訳だ。しかし、それは、先ずは一心不乱に動いてみて、その結果を見てから物事を判断しようということかも。もしそうなら、必ずしも、価値観を意味しているとは言い難いかも。
そもそも、「やりたいこと」など、考えればすぐに見つかるものなのかネ。すでに見つかっている人もいれば、思い悩み続けるだけの人もいる。両者を一緒にして議論してはたして意味があるかな。

・・・という具合で、確かに色々と考えさせられる。

そこで、結論。
良書である。
一瞥をお勧めしたい。

(本) 「はじめての哲学 生きる意味」 オスカー・ブルニフィエ(文)/ジャック・デプレ(イラスト)/藤田尊潮 (訳) 世界文化社 2011年11月


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