■■■■■ 2012.3.20 ■■■■■

 ニュース「吉本隆明逝く」を読み直しての雑感

16日、吉本隆明氏逝去。享年87。
たまたま早朝起きていたので、すぐに知った。緊急性ありそうなニュースでもないのに、矢鱈に早い報道なので驚いた。
「戦後思想に大きな影響」というトーンの報道がズラリ。
この評価、その通りだろうが、今更感あり。著作集のうち数冊を読んだだけだし、お気に入りの思想家とは言い難かったからでもある。

その後、たまたまニュースを見かけ、小生にも納得いく言葉を目にした。
「私は吉本さんの信奉者ではないが、昭和が本当に終わったと思った。」・・・芥川賞作家の辺見庸さん。
新聞の報道としては、この辺りが一番妥当とは言えまいか。

熱狂的信奉者は少なくないとはいえ、名前は知っているものの読んだことは無い人や、一寸、読んで興味を失った人だらけというのが現実だと思うからだ。もちろん、コレ、団塊の世代より上の高齢層で。
現代の若者になると、ほとんど知られていないのでは。
もっとも、サブカルチャー評論の先駆けとして重要な役割を担ったと言えないこともないようだが。

的確な表現としては、「作家・よしもとばななさんの父で、評論家で詩人の吉本隆明氏が死去した。」かも。
「戦後思想の巨人」と呼ばれるより、お子さん二人を育てあげたと書かれた方が、故人の意志尊重と言えそうだし。

なにせ、マルクスの登場は千年に一度の画期と主張する一方で、常に、自分は「市井の人」で詩人とのスタンスを取り続けたのだから。
この千年評価こそ、「戦後思想」そのもの。それは終わったのである。
小生は、同じ千年評価でも、埴谷雄高の嘆息感に共感を覚える。実際は、ソビエト千年王国はあっけなく崩壊してしまったが。

両者は実に対照的。
吉本の信条は、社会の風潮に合わせ、平凡な日々の生活を送ることらしい。もともとが皇国少年だったのもうなずける。
一方、埴谷は、はなから前衛志向。治安維持法で刑務所にぶち込まれた身。お陰で、陰湿なリンチで明け暮れる組織から隔離され、思惟に専念できた訳である。宇宙を論じることができる数少ない知識人でもあった。
吉本式に国家が幻想の共同体とするなら、大衆のそうした幻想のなかで漂いながら考えるのが吉本流で、幻想を超越するのが埴谷流という気がする。

と言っても、どちらにしても、影響力ある思想とは言い難い。失われた20年を生きてきた若者にとっては、そんな話はどうでもよいこと。
今や、若者をつき動かす思想は尽きてしまったかのよう。
石原慎太郎都知事が、「なかなか彼を継ぐような論客ってのは現れてこないね。体制、反体制にしろ、ろくな評論家がいないわな。日本には」と嘆いたそうであるが、その通り。
だが、暴走族のような、社会的反抗者さえ、絶滅危惧種化しそうなのだから致し方ないかも。醒めきった人だらけの成熟社会が実現してしまった訳である。

(記事)
「「昭和を象徴した人だった」吉本隆明さんしのぶ 」 読売新聞 2012年3月17日
「吉本さん“サブカル”も積極評価」 NHK 3月16日
「よしもとばなな 父吉本隆明氏死去「最高のお父さんでした」 」 デイリースポーツ 2012年3月16日
「石原知事 吉本さん悼む「世代の象徴的な存在」 」 スポーツニッポン 2012年3月16日
(暴走族についての当サイトの記載) 「暴走族激減とか(2012.3.19)」


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