橋下旋風のお陰で、「道州制」への流れができつつあるようだ。
なにせ、経団連がマンガパンフレットまで配布する宣伝サイトを作成した位だ。見た感じでは、相当に力が入っており、期待感がありそう。
そんなこともあるのか、昔からの主張が、今、ようやく実りつつあると感慨深げな人もいるとか。
まあ、わからぬこともない。橋下流に「自立」の流れができるならば。
小生は、「自立」する気概のある自治体は、東京のように活性化された都会と、極く例外的な地方に過ぎず、全体のほんの一部と見ているから、醒めて眺めるのみ。
中央集権制度以前の問題に取り組まない限り、一歩も踏み出せないと見ている訳である。
一言で言えば、社会安定のためのバラマキ政治が国家衰退の根源ということ。これを促進するタイプの「道州制」だとしたら、なんの意味もない。
現在の中央政治の出鱈目さ加減は誰の目にも明らか。
それこそ、バラマキ額とバラマキ方法をどうするかを毎日議論している政治でしかない。
しかし、地方政治も大同小異では。
この状態で、中央集権から地方分権に振ったところで、バラマキがより具体的になるにすぎまい。ほとんどの地方はバラマキで食べているから、パイの奪い合いが直接的になるだけだと思うが。しかも、利害調整スキルが無い人達が采配することになるのだから、熾烈な対立が引き起こされるに違いない。
確かに、理屈では、「道州制」になれば、戦略的な経済振興政策が打てる。基礎自治体も独自の支出管理ができるから効率的運営が可能になろう。
しかし、それは幻想にすぎまい。中央から地方に権力を移行したところで、「既得権益層へのバラマキ」政策が変わる必然性が無いからだ。
生産性悪化が著しい産業や、資本コストを下回る経営しかできない企業を支援し、税金で雇用を確保するしか能がない政治が続いているのは明らか。こうした、ただただ社会安定を図るだけの政治が続く以上、地方に権限が移ったところで、意味ある変化が生まれる道理がなかろう。それぞれの地方自治体によって、産業の新陳代謝がさらにきめ細かく抑制されるだけの話では。
これで地方経済が好転したらまさに奇跡。
「道州制」が画期的に映る人もいるようだが、実際のところ、夢を追うだけで、老大国化路線をさらに突き進むだけで終わるのでは。そうした現実を直視せず、幻想に浸ったところで何の解決にもならないと思うが。
もっとも、経済衰退志向層が有権者の過半を占めていそうだから、議会制民主主義国としては正しい方向と言えるのかも。
(取り上げたサイト) 「道州制 新しい地域づくりのために」 経済広報センター 2012/04/04作成